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「イシスの光」作画:本多裕樹

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  「イシスの光」作画:本多裕樹 イシスの光がやってくる。この黄色は神様を表す色です。グレーの霞に漂う後景は幽玄の世界をあらわしたものです。 この霞は霊的な世界のようなガスのただよう空間であり、そこに神々しい黄金の可能性が出現し、あなたに何かを問うているのです。 あなたは何を感じるだろうか。 この絵はスピリチャルな図であり、ある意味、宗教的でもあります。実際、イシスはエジプト由来の神でありその啓示を受けし者は知恵を与えられるのです。私はこのような世界を脳波でキャッチしてこの図を描いたのです。これはすでにある実相であり、実在を見ているのです。これは霊的な目で見て、キャンバスに描いていきます。 絵の難易度はそれほど高いものではないと思いますが、このイメージをキャッチするのには奇跡的にすら思えるほど、そのような細微な可能性をいかに具現するかと言う工夫、これは脳の知性で考えられるものではありません。これは奇跡の絵画であります。普通に絵を描いていてはこれは出ません。 これは絵を描く以前の私自身の日々の瞑想で得られるイメージであり、これはある意味、禅画のようなそのような修行によってありえるものであります。 イシスを思う、ここから始まり、そうして出現してきます。イシスは黄金色の黄色で出現して、私は手に持つ絵筆は勝手に動いていきます。いわゆる自動書記で進んで描かれます。私自身は何も考えていません。知性を超えた先にある何かを見ているだけで、考えずにイメージしている何かを見て絵筆が自動的に進んでいきます。 この方法はシュールレアリズム(超現実主義)に使われるオカルトな技法で手が勝手に動いて何かを作り出すと言う方法です。 頭のいい人ではなかなか理解できずにできないかもしれません。そうであればこそ、あまり難しく考えずにその制作に酔ってみてそうして描かれ、形になっていきます。 画家の方はキャンバスと取っ組み合いで絵が描かれます。その取っ組み合いの中であまり考えていない状態、脳波がガンマ波を出して体は無くて自分は絵筆になって神を崇める。イシスを崇めるその祭儀はこれ制作と言うのです。 瞑想状態になって自分ではない誰かがかかって、神がかって絵筆が動く、その不思議さも無い。あるのはイシスを崇め賛美している状態です。 これはスピリチャルな用語で言えばチャ