工藤千鶴 展 ギャラリーGK 展評:本多裕樹
工藤千鶴展 朝、電車に乗り、銀座まで行く。目的はギャラリーGKの工藤千鶴展に行くためであります。12時には到着予定、あるきっかけで案内を受けて芸術鑑賞をすることになった。工藤さんの作品は初見であります。どんな作品を作るかまだわからない。ちょっとしたわくわく感が私の心躍らせる。 ギャラリーGKに着きました。早速、ビルの中に入り画廊に行く。エレベーターが無言になる。 この作品をじっと見た。一見、私の見方であるが、何らかの厄災の象徴ではないかと、思った。 禍々しくオカルト的で魔法的、そこに紙の質感と、様々な部品のコラージュが形を成し、龍、やはり何かの神霊でないか。作者自身は多分、無意識にこういうモノが出てしまい作って仕舞ったのでは、 奥行きが直に見ると激しい、遠くから見ても化け物、縄文の精神、野生の思考に至る魂の響く恐ろしさが伝わる。そして、これは偶然できたものらしく。再現不能であること、和紙の感覚と、ペットボトルの部品がそのまま光の発光効果となり、鑑賞者を威圧している。 その隣に古代人の作った呪術的なオブジェがある。これはこの厄災の神の眷属なのであろう。補助を成し、暴れ狂う主神を制御する審神者ではないかと思った。 工藤千鶴は心理学に詳しく、この厄災の神は無意識から出て来たものかも知れないと言っていた。また、世界が今、混乱し、戦争が起きている現在を悼み、このような業が化け物を人類が作ってしまう。とのこと、どこかで人類は集合的無意識と繋がり、誰も戦争を望んでなく、人類が作ってしまった。業想念が厄災をまた厄災を作ってしまう。そう言うメッセージ性の強いアートであると言うこと、 ○ 青とピンク、爽やかで夢のような、天国的な色彩に暖かさ、近くで見ると渋みもある。この作品はタイトルは無いが、版画であること、版に和紙を置き素手で擦っているそうだ。そうでないとこの質感は出せない。 心清らかになる作品だと思いました。 何らかの曲、音楽を奏でるように、版画を作る、滲みが奥行きになっていく。不思議と清らかで、また、別の面を鑑賞者に顕現する。その不思議な奥行きの滲みに心理的な効果をもたらす。 煌めき、奥行きをどう作るか、版画をするときにバレンという擦る道具を使わずに、素手で和紙を擦るそうである。人の手が心に直結し、より人...