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12月, 2019の投稿を表示しています

シュールレアリスムの手法で制作しています。

最近は、極小展に河口聖さんからお誘いを受けて、それに向き合ってはがきサイズの絵を色鉛筆で制作しています。 なんていうかな、若いころのようにすごい集中して絵を描けない。 なぜだろうか?もう若いころのようにいかない。傑作は無理っぽい、それがなんとなく分かっちゃう。でも、制作を続けている。 集中するには椅子に座って動画を見て無意識状態にすることだ。そこからとくにむずかしいことを考えずに、とくに絵の構図とかモチーフを考えずに、ペンを走らせ、色鉛筆で着彩していく。 なにかな、もう、モチーフを見ないし、考えない。 紙になにかが見えればいい。そんな感じ、ほとんど自動書記で絵を描きます。 こっくりさん絵画といってもいい。この文章もそんなところはある。 無意識から引き出していく方法をやって偶然と必然を合わせて形をつくっていく、出現させる手法であり、これはシュールレアリズムの超現実主義の手法の立場にわたしはいるのだと思います。 無意識から引き出していく世界が紙に描かれていく、そしてなんとなく形になって意味を持ちだしだす。 そんな不思議な絵が出てきます。まずはリラックス状態は大事かもしれません。 見えるのですね。見えない世界が!視覚にたよらずオートマチックに文章や絵を描き進めていく。そうするとなんか形になる。 そして、それは無意識、の具現 それとも、脳の世界が、外の世界に出現したホモンクルスなのか。 最近は、読書するようにしています。忙しくても本を読んでいる。 山田洋二っていう人が忙しい時にこそ勉強するべきだといっていたからその影響かもしれない。 最近は美術史でなく、世界史の本、東洋思想の本、商売の本、日本美術の本。 そんなものを毎日1時間くらい読んでます。 一冊15分くらい、計4冊 毎日すこしずつ読んでいます。まあ、そのくらいが無理のない読書時間です。 読まない日、読めない日もあるけどね。けっこうしんどいですから。 障がい者が一生懸命に労働している動画を見ている。なぜか元気が出る。わたしも障害者だから そういう姿を見て僕もがんばろうという気になるし、モチベーションになるからいいのだ。 詩を書くの休んでいる。詩を書

ティータイムライティング

今日もこうしてはじまりましたね。文章を書けるのは休日くらいしかないのが現状かもしれません。でも、書いていきますよ。最近なにしているかといえば、プライベートではなにをしてるか。ほとんどゆっくり茶を飲んで休んでいるくらいかもしれません。 今はケーキ食べてコーヒーをたのしんでいますね。一人で、一人の方がやっぱり落ち着けるんですね。 一人になるってとてもいい栄養補給であります。なにかネタを語る必要がありますね。 ほとんど、毎日、仕事に励んでいて、趣味のことと言えば半紙に筆ペンによって書が書けることかな。 書道がちょっとした楽しみです。漢字とか仮名でなく英文を書で書いています。けっこうおもしろいよ。 最近、何を考えてきたんだろうか。それがわからない。なんだったのだろうか。 本も読んでたんだけど、忘れちゃった。読むという行為はいいのだが、内容を忘れてしまった。 もう、若いころのような知性はないのかもしれない。 そうだ、昼ご飯のことを考えよう。昼なにを食べようか? 食欲があまりない。 最近、食も若いころのようにたくさんたべることができなくなった。 食をたのしむ条件は空腹である事とヘルシーな料理である事だ。肉はあまり食べれなくなっている。 詩を書くのを趣味にしていたが、7冊目の詩集を電子書籍で出版してすこし燃え尽きてしまった。 なので、すこし休んでいます。 詩を書くってなにか精神的なエネルギーをすごい消費してしまうのだ。なので、書いている時は脳内麻薬が出て気持ちいのだけど、書き終わると情緒不安定になるから、けっこう大変なんだ。 今、こうして文章を書いているけど、けっこうたいへん。プロの文筆家とは本当にすごいと思うよ。僕ではとてもじゃないけど毎日仕事で執筆できない。週一回の文筆でもう、書けない。本当にプロはすごいと思う。 パスタを食べた。うまい、満腹である。 わたしは今、絵を展覧会に発表しています。今日、搬出であります。その前に、ヘアーカットします。トコヤでゆくりやすんで寝ようと思います。 ファストフードが食べれなくなった。なぜ、もう年だからか。 ここ何年かファストフードを食べていない。すこし、無理だから。もう、歳なんだな。

山崎康譽画伯の個展を観て

山崎康譽 展 昨日、行ってきた。ギャラリー K で行われている展覧会に、カフェでコーヒーを二杯飲んでそのあとなので、かなり集中力に満ちている。門を開け、階段をのぼり、展示場に入る。まずはあいさつして展示作品をみる。 一周みて、考える。わたしは初めての作品群なのでけっこう楽しかった。新鮮な気分だ。それはある。一点一点じっくりみて、不思議な気分になる作品もあれば、ピンとくるものもある。 山崎画伯の作品の特徴は文字とか数字、のカリグラフィーを絵にのっけている。一種の魔術をやっている人ならわかるだろうが、何かを文字によって精神の世界より呼び込もうとするなにかの呪文と言ってもいいだろう。 魔術というのは私の課題としている美学であるから私個人の感じ方ではあるが、文字はなにか慰霊もあれば異次元から神々の思想を招聘するようなそんな感じにとらえていただきたい。 文字、数字、シンボル記号などを駆使して、作品に色をつけて深い奥行きのある世界を展開している。 それが第一印象である。 だいたい、わたしも初めてゆえに新鮮な気持ちでたのしんでいる。 文字が踊ったり、ふわふわしたり、シンボルが画面を占めていたり、なんとも奥深い、何だろうかと思う。おもろいかもしれない。 そう思った。 山崎さんはインドとかスリランカとかそういうアジアの宗教の聖地の美術学校に留学したことがあってそこでご自分の絵画というものに大きな影響を受け、制作をつづけている。 もちろんベテランのアーティストである。 高等学校で美術を教えながら、制作に挑んでいる。 アジアの美術に何があったのか、日本には伝わっていない美の境地がこの展覧会で垣間見えるだろう。 古代文字の絵があった。小品であるが、自分あての絵画があった。それがよかった。 ラテン語なのか、とにかく古代文字である。それがよかった。 わたしも山崎さんの制作を真似る事も可能であるが、絵自体の奥行の感じは真似できない。それは山崎画伯の人生観であったり、努力の結晶であろう。 練達された奥行きはどこまでもはいっていける。広がるタイプでなく、絵に入っていくそういう絵であることは体験できる。何

詩人との対話

「あなたに詩は書けますか?夢の中にあなたはいますか」 「何をわけのわからないことを、でもわかるよ。僕は詩を書くからね。でも、もうあまり書きたくない」 「あなたは、詩に何を夢見る」 「ただつらいだけだよ、でも、書くべき時に書くべきだね」 「わたしはまだ、書ける、でも書きません。」 「まあ、どうでもいいことだし、あなたの好きなようにすればいい」 「さあ、夢ははじまる そんな、夢に私たちはいる でも、ゆめをじつげんさせるのはなんとむずかしいことか あなたは知っている」 「まあ、そんだけつらいからね良い子はあまり詩にのめりこまないほうがいい」 「詩は狂気にみちて 人生を破滅させるくらいのエネルギーを出すから」 「あなたも狂いましたね」 「ええ、」 「もう、あたまがおかしくなるのが詩の副作用だからね」 「わたしは、詩を書く」 「そして、朗読でもしてみなさい、ほとんどきもちわるい病人だから」 「万年筆で原稿用紙をインクで染みさせる」 「そのシミは、夢にいざない、あたまはくるいばかのようになっていく」 「あなたは天才」 「そして、狂人」 「詩人はどこの世界にいる」 「われわれの見えない世界を見ている」 「それなら、わたしはそこに行きました しかし、 そこは、天上の色彩で満ちていてその極彩色の光に頭の中がチカチカと痛い」 「それが詩の世界のかなたにあるものですね。」 「そうですね。そうだ、」 「天才にはリスクがある。精神をおかしくしていく それは狂いにくるい 普段の一般生活をするにおいて、切り替えが必要だ」 「天才が、天才であるためには そいつは天然記念物のように保護する事でその芽をころさない」 「詩人は高次元の思想をおろすものか そうであるなら、人を救えるの」 「いや、それは無いだろう」 「いやとは、あなたはどうなのですか?」 「もう、狂人の話など聞かない方がいい」 「それはわたしのこと」 「切り替えができないと一般生活ができないだろう、 そういう意味でペルソナを持つ必要がある事実を知ろう」 「それがなぜ」 「それは親切心というヤツさ」 「詩人は天然記念物なら保護しなくてはならない、それも自分を自分で保

甲斐光省画伯の絵を朝の会展で観て、「白い服の少女」

先週の日曜日に銀座に行った。朝さわやかな街をあるく。わたしは友人と銀座、洋協ホールへむかう。そこで、休日のアートな体験をするため、「朝の会」展を観に行くのであった。 長い螺旋階段をのぼり、展覧会場にむかう。足がけっこう痛くなった。 展示室に入り、さまざまな絵画作品をみる。その会場は喫煙室もある。あとでタバコをくゆらそう。ピンとくるものがいくらかあった。それは、甲斐光省画伯の 「 白い服の少女 」 である。なかなかいいものだと思った。色があざやかで幸福になっていくそのように誘導される光の芸術でありました。少女はすこしうつむき絵自体のさまざまな線の色で光が輝いている。同伴してくれた友人もいいなと 言っていた。 わたしは、いくらかこの休日の時間をアートで花やいだ。「白い服の少女」の絵に幸福感を感じた。それがとてもよい気分になった。美しいものを見るとストレスフリーになるという。わたしはそれを実感し体験をした。甲斐画伯は色というものにさまざまなチャレンジをしている画家である。ある時はポール・ゴーギャンに影響を受けたものを描いたり、それを発展させてご自分の芸術の高みを目増としていることがうかがえる。あと、デッサンの専門家で線の切れ味が絶妙であるのはもちろんだが、構図においても数学を駆使して作品を作っている。 もはや、画家というか芸術家になっている。つまり万能であるとうことだ。 少女はどこをみている。少女は画家を見ていない。すこし頬をあからめこちらをみている。白い服がほわほわしてあたたかそう、色のあたたかみが鑑賞の時に網膜に温度を感じる。まるで平面のキャンバスが熱を発しているかのようだ。 私はこの絵を見て幸福感を覚える。不思議だ。 絵にそこまでわたしの心を動かすものがあるのだろうか?しかし、それは現実。 網膜の中で現象が起きている。 甲斐画伯はわたしの師匠である。いろいろ世話をやいてくれる親父的な存在だ。今でもこのようなおじさんとなった僕でも気にかけてくれる。ありがたいと思っています。 たしかに、わたしが若いころ指導を受けた。 自由にさせてくれた。それが嬉しくもある。僕は、自主制作しかしなかった。半紙に毛筆と墨で絵をひたすら描いていた

ももいろクローバーZの歌を聴いて

今日もこうしてはじまりました。これから展覧会に遊びに行きます。その前にカフェでコーヒーとケーキを食べています。音楽を聴きながら、休日のゆったりした時間をたのしんでいます。 最近、なにを課題にしているか。まあ、絵とか書とか、かな。 それはいつもかわらないことでありますが、もう少し、他のことに関心をとめたほうがいいのかなと思ったりします。でも、なにかな他の興味はお酒を飲むことかもしれない。 それも、上手い料理を食べながら。 今、聴いている音楽はももクロです。ももいろクローバーの歌は一生懸命に歌って踊って元気でいいなと思います。僕は元気をいつももらっている。とても、ありがたいと思っています。 元気な芸術は受信者に伝わるのだと思うよ。 わたしの周りでももクロが好きな人がいるかわからないが、わたしは好きだよ。ももクロはアイドルなのか?アイドルに心酔する人は日本にはけっこういるだろう。 その中でも、わたしはももクロ派なのかもしれない。 アイドル=偶像である。 たしかに偶像崇拝だ。これは否めない。われわれはドルヲタは崇めているのだ。アイドルをね。 しかも、ご利益は元気である。元気をいただけて明日もまたがんばろうというモチベーションになるのが不思議な所である。これは奇跡か? コーヒーを二杯目に入った。コーヒーは興奮作用も多少あるのか、もしくは、集中力がアップする。今日は絵を描くよ。用事が終わったら、展覧会をたのしんであそんだら。昼食をたべて帰路につきます。そんでアトリエに入って制作に集中します。 おいしい料理をたべてお酒を飲むのもいい。そういうことをしている。でも、けっこう質素だよ。今日の昼はグリーンカレーにサッポロビールのビンで注文する予定である。 僕はけっこう休日は前日にいろいろ計画を立てる。紙にボールペンで書き休日をプランして時間を無駄にしない。マイマネージャー、セルフマネージャーをしているのです。 趣味の書もたのしみですね。書道は好きなんだよね。好きで好きでしょうがないのですよ。でも、書の腕前はプロレベルではありません。書道家と呼ばれる人はもう、尋常じゃない修行をするのでしょう。そこまでは僕もしません。僕