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「風の声」作者:石田達彦 材料:墨、紙 サイズ:F60号 制作2024年

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石田達彦 「風の声」   風の声 作者:石田達彦 材料: 墨、紙 サイズ:F60号 制作:2024年 数日前、のことである。ある人物と喫茶店で芸術談義をしていた。内容はさまざまであるが抽象画のことをいろいろ空を追うような話をしていました。 カンデンスキーの「点線面」という著書についてである。 私の話し相手は石田達彦という昔からの友人である。 石田氏は高校を卒業してすぐ美術の専門学校に進学し写真や絵画に精進していた。だんだんと写真に傾倒し、写真の専門家になっていった。その後、何年か経ち書道や音楽、絵画など芸術全般に関心を持つようになり、それを実際に制作し、また演奏し、発表するようになった。 今は、絵画に、抽象絵画に頑張っているようだ。 カンデンスキーの本についていろいろ話しましたが、筆者はあまり分かっていなかった。ざっとした認識でしかない。しかし、石田氏は若くあり抽象画の理論を体得していくだろう。 そうだ、ということで私は石田達彦氏を自宅に招いて書画会を開催しました。 まず、デモンストレーションとして私は書を毛筆で墨によって半紙に書きました。 私のアトリエは制作空間は一畳のスペースしかない。狭苦しく圧迫された空間で石田氏曰く「猫の部屋」と形容した。 石田氏も書を書いた。 そして、メインの抽象画を描くことになった。 私はF60号サイズのパネルに和紙を貼り、墨も用意し、そして石田達彦氏は毛筆でもって準備した。 しばらく沈黙が続く。石田氏は沈黙の中、絵の題材が浮かんだのであろう。 画面に向かい、そして動き出す。 これは音楽の演奏のような流れで気持ちい流れで墨が和紙に進んでいく。何も迷うことなく、石田達彦の音楽を描いていく。もしくは書いていく、また演奏しているのだろうか。 そう、一瞬で和紙と筆の取っ組み合いが始まる。 私はその場で見ていた。いわゆるライブペインティングである。まるでB’zの曲を聴いているような煌びやかで爽快な歌、または絵画の制作の現場に感動した。 この形に意味はある。 音、 楽想の印象、 瞬間の美、音、 石田達彦氏は音楽を演奏するように筆を進める。何か計画があるわけでなく無意識にもうその構想ができているのであろう。 オートマチズム、自動書記のように描き、進め、 点の羅列が風のせせらぎと音などの、声が聴こえてくる。 音が広がっていく。 石田達彦氏は筆を置き。爽快

本多裕樹 個展 東方浄土図 ライブペインティングの風景 作画:本多裕樹 写真:新藤義久

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  今年の7月 2024年にギャラリーK(新越谷)にて私は個展を開きました。その時に、その場でライブペイントをしました。 それは狂気になって画面との取っ組み合いであったこと、また、この作品の構想に半年かけて考えて、タイトルも決めました。 この絵のタイトルは「東方浄土図」であること、すでに「西方浄土図」と言う日本の古典絵画にもありまして、であるならば私は東方から浄土を絵という形で降臨させようとしました。 その制作において、その場のライブは私としては必死でありました。 そこで命果てようとかそんな余裕もなく、ひたすら画面に挑む。 画用紙は水彩紙でその上にサクラクレパスを塗り込め、色を絞るように描くのだ。 それを、現代写真家の新藤義久氏が撮影し、他の方々も撮影する。 この死闘を、 この制作を2時間かけて、音楽を流した。ミュージックは「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメのサウンドトラックを流して、ある儀式のように雰囲気を作りました。 そして、私は必死に描く 周りの声援もあり、パーティーということもあって飲み食いし、宴を楽しむ声、ミュージシャンのライブのごとく、私は絵を描くことに必死だ。 この絵は、東方から天使がやってきて争いをやめさせ平和の勝利を歌ったものであります。 西方から阿弥陀仏が出現するように 東方から天使たちが世界を巡り救済のために光を広げる。 今や、その時、争いの多い時代であったし、今でも諍いがあり世界は困難な時代を迎えている。 この絵のイメージとしてはフランスの印象派のような色のかすれやぼやかしを使って空気感を表現しています。 私といえばインドの服を着て宗教的な可能性をメンタルに入れてあたかもシャーマンのごとくな気持ちでこの絵に描いているのであります。 魂を燃やすようにサクラクレパスを塗り込め、自分のすべてを表現し描き全力集中していた。 もちろん休憩は無い。このライブが終わるまで終わらない。 一度つけた盃が最後まで飲み干さなければならない。 一種の戦闘モードであるのか、狂気が私を襲う。 だんだんと形になって 画用紙に出てきて出現してくる。 床はクレパスの残骸でいっぱいでまるでタバコの吸い殻をそのまま捨ててあるかのごとくだ。 私は決して長距離走者でない。しかし