ルノワール作 「麦わら帽子の少女」
ルノワール作 「麦わらの帽子の少女」 疲れのとれる絵というのがある。美しいものを観るとストレスフリーになると言う魔法の絵画がある。それは人それぞれであるが、わたしは疲れた時には美術品を見るのだ。しかし、名画ともなれば美術館にいかなくては見れないものがほとんどだ。その名画の世界に入れた画家でルノワールという巨匠がいる。印象派の人物の名手で女性を描くのを得意とした人だ。もう、伝説上の人で生きていた時は美の法王と言われていた。その巨匠の絵を今見ている。「麦わら帽子の少女」1884年ころ制作54×43㎝ 個人蔵 少女はわたしをみるのでなく思い髪をなでる不思議な眼、ハイセンスな感じで夏場の印象の景色にブルーで神秘的だ。この少女は若い女子特有の神秘さで満ちている。印象派の方法で描かれているが、もうすこし形を明確にした古典的な描き方かもしれない。色は青をもってもっともブルーに相性のいいイエローを用いて陰影をつくっている。肌は柔肌で美しく瞳は男をまだ知らないミステリアスにモデルを務めている感じだ。女子力の高い風貌、そして少女、日本でいえば中学生から高校生くらいの年齢だろうか。やけにミステリアスで神秘的である。こういう肖像画を描かれるのはブルジュアの家庭の裕福な少女であるが、ルノワールはビッチの少女も描くし、ボヘミアンの少女も描く、そのへんにいるジプシーもモデルになってもらったりしているのだ。女の何かがとらえられているのか、少女を描いて自分を、画家自身の精神や思想を内在させているのか、よく肖像画は結局のところ自分を描いているとピカソは言っている。ルノワールの絵はやはりルノワールの絵画精神がモチーフに映っているのだろう。ルノワールの目、ルノワールの絵の技術、精神、思想、とくに目に映る世界はわたしたちではわからない美の世界を見ているのだろう。それがキャンバスに映写されていく。絵筆によって自分の世界を再現していく作業が絵を描くと言う行為なのだと思う。この「麦わらの少女」作:オーギュスト・ルノワールの作品には美の法王の境地にいった世界が表出されたのだ。絵の技術に関しては誰としてその境地に達せない。ルノワールにしか達せないオリジンの美学があるのだった。それにつけても少女はかわいいと言うか美しさが高き精神の気高さの光を放っているのを私は見るのだった。