薄黄色のカーテン 作画:アンリ・マチス


薄黄色のカーテン
作画:アンリ・マチス

マチスの絵をみて思うところ、やはり言い知れぬ美がある。その美は言葉ではなんとも表せない不思議な美だ。色彩に関して専門家であった画家は、色を用いて人間の深層心理にあるアニミズムの形体の線をもって描きすすめる。色は調和と、自然の法則と、精神の色彩にあらわれる人間の心を打つ構図をもって絵は構成され描かれる。今、わたしは「薄黄色のカーテン」1915年(マチス46歳)キャンバスに油彩 146×97㎝ 個人蔵 を見て素そう思うのだった。黄色い園に湖が部屋の中から見るというだけの絵であるが、色の平面の広がる抽象化されたモダーンな構図に線に簡略された色面の絵だ。こいう絵を観るとフレッシュさを感じるとともに不思議な美への感覚がその本来の美の抽出されたものを目で見る事になる。それだけの絵なのだ。簡単なそれだけの絵なのだが、部屋から見た構図の絵に美のエッセンスを引き出し、美の本質だけを描き出すそういう美術作品であります。それだから魅力が絵から放たれているのかもしれない。マチスは若いころ法律を志していたまじめなフランス人であった。病気を機に絵を描き始め、それからも法律の仕事をしながら絵を描いていた。いつしか国立美術学校に入学して、ギュスターヴ・モローの教室に学び色に開眼する。卒業してからも仕事しながらストイックに絵の修練に励んでいた。シニャックとかと絵を描いたり、印象派の絵を観たりして、色彩の絵を発明しようと考える。それが日本でいわれている野獣派とよばれるフォーヴィスムであります。色だけの絵を発明していきました。それから、そのフォーヴを終えた時の作品は独自のマチスの絵が発明されました。それが「薄黄色のカーテン」の絵の時期であります。じっさい色の研究のためアフリカ大陸のモロッコに旅して太陽光線のつよい色をみたり描いたりして研究熱心だった。マチスの絵は努力もせずセンスだけで描いているという批評もありますが、実は大変な努力をしているのです。マチス自信が努力しているところを見せなかったというのはあります。しかし、絵を観ればわかります。一枚の絵の中にさまざまな内容が込められていて、名画にふさわしい手数もいっぱいあります。そうしてモダーンな革新的なセンスでいっぱいの努力家の作品であります「薄黄色のカーテン」は名画として今後も世界の美術ファンに語り継がれることと思います。

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