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「時の肖像」ギャラリーK 2023年3月20日〜31日まで 企画:河口聖

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  ギャラリーK 「時の肖像」 2023年3月20日~31日まで   企画:河口聖 出品者:楠本恵子、樋口慶子、本多裕樹、宮崎聡子、河口聖  初日13時より、最終日16時まで 時間:11:00~18:00 開催場所: ギャラリーK 〒〒343-0821 埼玉県越谷市瓦曽根3-7-7ー3F Tel 048-947-9135 JR武蔵野線「南越谷駅」徒歩7分 東京スカイツリーライン、日比谷線、半蔵門線「新越谷駅」東口徒歩7分 時は何を思い出すか、その時々の肖像が見せる。姿、自然か、懐かしきあの頃の思い出の髪のなびきかた。 それぞれが、時の肖像を描き、思い出と、作家たちは何を描くのか? それは画廊に行ってみないとわからない。私もわからない。 ただ、私は、何を描くにしても女性の姿であろう。 私の目には女子しか見えていないから、 あの時、 あの日の君 私は描くよその姿、髪の毛の香りただよう空にしてアートは読み調べる。 私は、肖像画をよく描きます。とくに女性の肖像ですが、年齢は30代くらいの女性に焦点をあてて、描いていきます。 今回もそのような感じの作品を出品します。 墨で描かれた、線による絵画で、文人画に近い可能性があるかもしれませんが、その墨に自分の中にあるノスタルジーを描いているので、その中で髪は大事なポイントになります。 同じく出品する作家の方々も個性が強く、 どのような作品を出すか、わからない、想像が多少つきますが、肖像というテーマで何を出品するか未知数です。 今回の企画は河口聖 氏が発案で「時」と言うのと「肖像」と言うのがどのように作用するかという実験的なところもあろうかと思います。 日々どのように生きたか、それが肖像に現れる。心理学的にも肖像画を描くには自分に自信がないと向き合えないと言います。それは絵の技術とかでなく、肖像画は自分と向き合い、他人にも向き合わなければなりません。 あと、自分をどこまで愛せるか。自分の人格を愛せるかが肖像画の決め所になると言うこともあります。 世界もそれぞれ異なり、描くスタイルもまたそれぞれが独特の作家の方々です。何も見て、肖像を見て描いているか楽しむことができるのではと思います。 肖像を描くことで社会的に影響与えた画家もかつてあった

ギャラリー暁  西井武徳 展  福井県若手美術家育成事業「ふくいアートアタック」

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ギャラリー暁 福井アートアタック 西井武徳 展 福井県若手美術家育成事業「ふくいアートアタック」   私は見た。古代より前の先史時代の美術を、歴史以前の人間の作る祭りのための彫刻を、人間の先祖、ネアンデルタール人より前か、同時代か、もっと古い猿人の芸術を、限りなき野生、これを見てワクワク感さえある快楽を、 この彫刻を彫ったのは福井県に住まう西井武徳 氏である。とても野生的なアートを創作する方だ。 この展示は先史時代の芸術を再現するように、ラスコーの洞窟壁画や、アルタミラの洞窟壁画をイメージしたものだ。それらの洞窟はオペラ劇場であり、祭儀の場所でもあった。動物を彫り 、絵画も塗り込め、生きることに、ただ生きることしか考えない野生の生命のほとばしりを感じる。 ただ生命の躍動を感じ、生きることがすべてと言わんばかりの力強さである。熱気がこの展示室を燃え上げているようだ。生命のほとばしりとしか言いようがない力だ。 筋肉と命をまず強く感じた。 西井武徳 氏は福井の農家の家をアトリエにして大作を彫り続けている。その広い空間のアトリエと福井の自然豊かな農地の田園風景に、美味しい料理を食べて人間の本来持っている野生性を肌で感じ、肉体を強くしていったのだろう。 この展示作品は、展示はラスコーの洞窟壁画をイメージして展示したと言う。 これらの作品群は宗教画であり、それは古代より前の猿人たちのありのままの直な芸術を彫刻として彫っている。絵画は動物を表し、壁画のように塗り込めている。それも自然素材の材料を使い、原始に帰ろうとした、先史復古芸術なのだった。   金箔を使い、茶色は血や土を想わせる。生命観を出すために猿人の生のパワーを塗り込め、刻んで彫って、歓喜する。 生命の躍動   炎に燃えながら、踊り、たたずむ、動物はかつて昔、神の使いであった。動物は食べられてそのまま埋葬され、生きる。先史時代の人にとって死はないのだ。ただ、生きるだけで未来も過去も無い。ただ、生があるだけだった。その生きるだけの躍動がこの絵に現れている。 血もまた生きる生命のそのものであるだろう。 その血と、金の輝き、金に日本の室町時代の黄金芸術のようなセンテンスが見え隠れする。時に、雅ささえ感ずる。これは西井武徳 氏のエスプリと言ってもいいだろう。    動物を焼く、焼き物の彫刻であるが、焼くという行為もまた意味がある

ギャラリー暁  江戸雄飛 展 ドローイング作品  福井県若手美術家育成事業「ふくいアートアタック」

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ギャラリー暁 福井アートアタック 江戸雄飛 展 ドローイング作品 福井県若手美術家育成事業「ふくいアートアタック」  東京の東銀座を下車し、2分歩いたところにギャラリー暁がある。その2階に画廊があり、入った。入った瞬間、とんでもないことが起きた。  正面に魂の叫びが圧倒させる衝撃がおそう。そうして言葉を失い、ただ呆然とその展示室をまわる。 何事かと思った。 一見、過去の美術作品から、つなげると長谷川等伯の「松林図」の水墨画を想わせるイリュージョンを演出しているかに見えて、その空間を支配していた。 線描、いわゆるドローイング、その熱気のおもむくままの執念なのか、とても人間技でない力、絵の構成を超えて爆発している魂の放射をその空間に原始の思いから宇宙の始まりまで回帰させる記憶のすべてが弾ける何かを感じたのである。   これはダークなものでない、もっと純粋で素直で、だからこそ宇宙の始まりを感ずるもっともピュアで神のような世界をこのドローイング作品に感じる のだ。この線の流れに記号が込められて言葉、書道作品のセンテンスがあり、江戸氏の純粋な心ゆえに神とつながる祭りとでも言おうか、祭儀の可能性が線を描く、もしくは書くことで神殿で行われる舞踊や祝詞をあげているうように思える。 このドローイング作品は、制作は宇宙の根源をお祭りしているのだろうと私は感じて、一種の宗教行事の現場を体験しているようでありました。 江戸氏は知的障害者で自閉症であるそうだ。しかも、美術に向き合う事においてそんなことを関係なしに、預言者になっている。ものすごく集中力がありそれは尋常ではない、知の理性も確かであるし、自閉症といいながら天才であった。 一般に言うギフテッドの特別な才能をもっている。 何かを取ると、何かを失う。 何か無ければ、それをおぎなうようにその空間を埋めようと命を燃やしその空間を埋めようとする。 江戸 氏は、このドローイング作品を言葉であると言う。文字に強い関心を抱きそれを描き続ける。 絵画的思考をそのまま脳内でイメージして絵としての言葉を描いている。 文字的思考は理性のバイアスがかかり本来の能力を封印してしまうとのことだった。 しかし、江戸氏の作品は文字的な思考を超えて、人間本来がもっている能力を開眼し、イメージを絵で見ている。知性を超えた宇宙的感性でその作品制作、または祭儀によって叫びな