ギャラリー暁 西井武徳 展 福井県若手美術家育成事業「ふくいアートアタック」
ギャラリー暁 福井アートアタック 西井武徳 展
福井県若手美術家育成事業「ふくいアートアタック」
私は見た。古代より前の先史時代の美術を、歴史以前の人間の作る祭りのための彫刻を、人間の先祖、ネアンデルタール人より前か、同時代か、もっと古い猿人の芸術を、限りなき野生、これを見てワクワク感さえある快楽を、
この彫刻を彫ったのは福井県に住まう西井武徳 氏である。とても野生的なアートを創作する方だ。
この展示は先史時代の芸術を再現するように、ラスコーの洞窟壁画や、アルタミラの洞窟壁画をイメージしたものだ。それらの洞窟はオペラ劇場であり、祭儀の場所でもあった。動物を彫り、絵画も塗り込め、生きることに、ただ生きることしか考えない野生の生命のほとばしりを感じる。
ただ生命の躍動を感じ、生きることがすべてと言わんばかりの力強さである。熱気がこの展示室を燃え上げているようだ。生命のほとばしりとしか言いようがない力だ。
筋肉と命をまず強く感じた。
西井武徳 氏は福井の農家の家をアトリエにして大作を彫り続けている。その広い空間のアトリエと福井の自然豊かな農地の田園風景に、美味しい料理を食べて人間の本来持っている野生性を肌で感じ、肉体を強くしていったのだろう。
この展示作品は、展示はラスコーの洞窟壁画をイメージして展示したと言う。
これらの作品群は宗教画であり、それは古代より前の猿人たちのありのままの直な芸術を彫刻として彫っている。絵画は動物を表し、壁画のように塗り込めている。それも自然素材の材料を使い、原始に帰ろうとした、先史復古芸術なのだった。
金箔を使い、茶色は血や土を想わせる。生命観を出すために猿人の生のパワーを塗り込め、刻んで彫って、歓喜する。
生命の躍動
炎に燃えながら、踊り、たたずむ、動物はかつて昔、神の使いであった。動物は食べられてそのまま埋葬され、生きる。先史時代の人にとって死はないのだ。ただ、生きるだけで未来も過去も無い。ただ、生があるだけだった。その生きるだけの躍動がこの絵に現れている。
血もまた生きる生命のそのものであるだろう。
その血と、金の輝き、金に日本の室町時代の黄金芸術のようなセンテンスが見え隠れする。時に、雅ささえ感ずる。これは西井武徳 氏のエスプリと言ってもいいだろう。
動物を焼く、焼き物の彫刻であるが、焼くという行為もまた意味があるかもしれませんが、この動物はライオンが立つ姿である。かつて、ペルシャの宗教でミトラ教というのがあった。その経典である「ケウル」ではライオンは神として崇められていた記述がある。ライオンを崇める習慣が古代人にはあった。野生性から言ってもライオンに踊る猿人もあった事であろうと思う。
牛は、古代の中東では神であった。角を崇める意味もあった。神は角があったからそうだ。聖書の出エジプト記にも牛を崇めることがあり、古代人にとって牛は特別な動物だったのであろうと、過去を思うのだ。
牛に神秘を感ずるは、身近の日々の生活の中で屠殺などして、肉を生で食べる。その死の中にまた生命を覚える名残と血の意味もあることをその彫刻から感じた。
血は聖なる祭事に使われ、神を崇めるための生命の液であった。
こうして、福井の彫刻家の西井武徳 氏は先史時代の芸術を身に受けて制作を続けている。東京の公募展にも出品していて、新制作展を舞台にしている。
西井氏の彫る世界は、先史時代であり、ただ生きることと生命の血のほとばしりの中、描き、彫り生きているのであった。
西井武徳 氏の作品に圧倒され、脳がヒリヒリしました。
2023年2月12日 本多裕樹しるす
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