マルガリタの肖像 モディリアーニの絵の感想
今日は朝から美術鑑賞をしている。それは美術館に行ってみているのでなく画集をみて楽しんでいるのである。
画集をひらくとモディリアーニの「マルゲリタの肖像」があった。甘い目をした婦人でこちらをいい目で視線を送る。作者にすごい魅力があるのかうっとりをモデルが目をむけている。そこがいい感じだ。
絵の具はあまり高価なものを使っていない。だいたいが土属性かもしれない。巨匠のように高い絵の具を使わずに絵を描く。とても贅沢なのだ。現代の画家は高い高価な絵の具を普通に変えるため色彩豊かな絵が多いかもしれない。私もお金がないころ褐色系の絵の具を使って描いていた。けっこうシックな絵を描いていた時期があった。経済的に豊かになって宝石系の貴石からできた絵の具を使いまくれる身分にまでになったが、どうしても貧乏の時か褐色系の絵の具で乗り切るものかもしれない。
モデイリアーニは最初、画家になる予定でなかった。本当は彫刻家になりたかったのだ。なので人体の構成には特別な造形スタイルのインスピレーションがあった。人体を長くしたり細くしなり不思議な形を人体に変形させるのを彫刻家の発想で作っていた。絵を描いていたのだった。
あと、モデイリアーニはイケメンで女にもてていた。恋人もすぐにできる。友人の画家のパーティーには詩の朗読したりしてかっこよかったのだろう。
彼は、イタリア系のユダヤ人であった。若いころ肺病をわずらい一生つきまとう持病となった。たばこ、酒が大好き。
作品がうまくいかないのを酒でごまかしていた。
それは誰でもあるんじゃないかな。私も仕事から帰るとまず中華まんとフライドチキンを食べながらウイスキーのロックを飲んでつかれをとっていい気分になって人生の苦しみから逃げていることもあるから、誰でも経験している弱さではなかろうかと思うよ。
モデイリアーニは彫刻家をあきらめる。肺病にわるいからだった。それで絵に集中することになった。その時に描いた作品の初期にこの「マルゲリタの肖像」があるのだ。肖像画を描くことを収入源にしていてそれで生活していた。それも極貧にかわりない。でも酒を飲む余裕もあるし貯金することもあった。
絵はいいものだ。当時のフランスのパリでは芸術がふかくかかわっていた。現代の日本では美術館はなれとかいろいろあってアートの考え方がちょっと違うかもしれない。
アート=ぜいたくなものという感覚があったり、そもそもアートの価値がわからないから買わないと言う人もいるし、観るのもなんだかわからないと言う人もあるだろう。
アートはわからない。難解そう、そういう考えもあろう。
しかし、アートを見る目は鍛えられる。なにか世界のみかたもかわっていく魔法の作品なのだ。名画を見て美の意識もかわってくるばかりか芸術をたしなむことで楽しくなると思う。
モデイリアーニの絵はとてもわかりやすく、そして美としての見方としてもあっという間に美の世界にいざなってくれることばかりか人生のしみじみとしたうまくいなかい、かならずともうまくいっている人生でなくても自由人として懸命にアートに挑んでいる感情がにじみでている。そこに共感してああ、あいつもつらかったんだな。そんでいい作品を描いて精進していたんだなと思うかもしれない。
婦人像は美人画みたいなもので美を体現している。やはり女性と言うのは美しいのだ。美しいと感じる事はいいことだ。お坊さんではそれを否定しておさえこむかもしれない。美は正直で、しかも本音の心象風景が作品に表現されるから、作者の美がキャンバスに塗り込めれる。画家は基本、自分に正直でないとハートからくる絵筆をもって挑めないのだ。
モデイリアーニの美は正直に素直にキャンバスに美として婦人を描いた。本当の心、本音の美なんだ。
そういう意味で「マルゲリタの肖像」は一風変わった肖像画に見えるが美と言う観点から描かれたきわめて個人的な目であり、芸術家の個人主義のあらわれであり、ユダヤ人特有の個人主義精神もあって、かならずしも流行りとかを追うのでなく、俺流の作品を生み出したと言えます。オリジナルであってはじめて感動もあり、
ハートから出た作品であるからこそ、ハートが共鳴して感動するのである。
決して機械では描けない絵であると言うこと、いたってヒューマニズムであるのだ。
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