聖セバスティアヌス  作:ラファエロ


今日もこうして美術に関してむきあうことができることを大変に優雅なひと時を経験できることを天に感謝するものです。イタリアの全盛期、それは盛期ルネッサンス時代だ。そのとき非常に神のごとく天才の芸術家がいっぱいいた。そして、それを支える富豪もいたのだ。そんな中、近代まで美の基準となりカノンを描いた画家がいた。画家というより何だろうか、工房主で、建築やさまざまな事をやる会社というか今でいう工務店の工房主にラファエロという人がいた。今、その人の描いた「聖セバスティアヌス」板に油彩、カッラーラ美術館所蔵を観ている。その絵はどんなものか、感情をおさえた表情に優雅に矢をつまんでいる。色はクラシックないかにも古典を思わせる厳粛さ、瞳はなにか遠くを見ているようで、品があって瞑想的だ。神の象徴である後輪もあり、深い夢を思わせる。

この絵を見て思うことは静かに心のうちに入っていく聖なる感情で、日本の禅をおもわせる心のうちまで染みわたる瞑目と聖なるひと時、絵一枚でここまで宗教性を、または神秘性、それとも精神にまで影響を与えるエネルギー、エネルギーは爆破的なものでなく神秘の静謐が見いだされる神の鏡であり、その絵自体に上質なイコン、聖画になっているのである。

聖画は信仰の対象だ。それは日本における仏像のご本尊と同じなので、こういう宗教的な美術はテンプルに安置されることを目的としている。そしてそれを観て神をみるのだ。仏教でいう所の観想念仏の効果を出すのだ。キリスト教の教えをするためのつまみでありかもしれないが、この絵自体を考えるに、その宗教的な影響力のある図にも無視できないのである。ラファエロの心に神があった。そして、それを具現して美術にする感性をもちあわせていた。ラファエロの宗教的な精神が美のカノンをつくる可能性を精神に内在していたのだった。

この絵の聖人の後ろにも風景が描かれているが、これもおさえた色で青色と黄土色を混色してできた色彩である。少ない絵の具の種類で表情豊かに描けるのは、日本の山水画にも似た手法であるし、中国の古典絵画にもみられる高度な技術力がうかがわれる。

青はあまり多く使えないだろう。薄くつかっている。

実は青色は貴石から作られるゆえ、なかなか思い切って使えない事情もあるのだ。緑を作るにもアイボリーブラックとネイプルスイエローをつかって混色し、白で調整していたと聞いたことがある。古典絵画はそのようにして作らいる。


あと、この絵はクラシックのもっともな作品だと思う。過去の絵をよく吸収しているのは、ラファエロの師匠のベルジーノの教えをよく学び吸収して先生をしのぐくらいに成長しているのは当然だが、ラファエロ自身の若き日の努力や才能に開眼し達していたからだろう。今の現代の人にはなかなかむずかしいことを私はおぼえる。それはなぜかというと学校という制度の中に枠にいれられて才能や本当にやりたいことをさせてくれない。強制的に学科を学ばされ塾にも行かされいつしか自分が何をしたいのかを忘れてしまい大人になってしまう。天才教育はされていない現代、好きな事を探す余裕もない。それが現代の教育による洗脳であり、社会人養成の期間である教養主義なのだ。でも、このイタリアルネッサンスにおいては才能が大いに開花していく多くの名士は好きな事をして、自分に幼いころから問いかけて自分がなにがしたいか、なにができるか、なにが人生の目的化を考える余裕があったのだ。

そういう環境の中で、自分の好きなこと、したいことを発見しそれにむかって精進していく。そこに才能開花の秘儀がある。

ラファエロはこの初期の工房制作での修行で一生懸命に好きな事をして、西暦1501年には巨匠のレベルに達する技術を習得して、それからもアートにすすむことになる。基本、この時代は宗教画に関して最高度に達することになる時代、または文明の目標になっていて当時のイタリアは世界で突出した可能性に満ちていたのだった。

その多くの有名な無名な巨匠の芸術家たちが出現したのであった。

この絵において肌のなまなましさ生きている事の実感、生命の息吹、心ここにありという命を大切にし愛する神、人、心、精神をこの「聖セバスティアヌス」板に油彩 43×34㎝メートル カッラーラ美術館所蔵の絵はまさに人文主義のルネッサンスの息吹を感じる空間を表すことになるのであった。

ラファエロは早熟の天才であることをこの絵であきらかであるし、普通では成しえない高度な精神と技術であることを証明するものであると思います。

装飾においても、服にあしらわれるデザインにも後のウィーン幻想はたち、またはフランドルの潮流に影響をあたえることになる。

デザインのあしらいは高貴な者のたしなみであり美的な趣味であり、時に王族に許されるものである。こういう意味で、ラファエロの絵は後世に大きな電波となって時代の、一つの文化、文明の運命を決定する重要な芸術家であると言えます。


コメント

このブログの人気の投稿

𣘺本悠 個展 NGG中野銀座ギャラリーを観て、筆者・本多裕樹のアートの旅。 2024年3月24日日曜日~3月30日土曜日

新藤義久の写真の世界 批評 本多裕樹による

喫茶店 June 本多裕樹展 2024