制作日誌3098番


制作について書いてみます。最近は、あまり絵を描いていませんね。毎日はつかれる。若い時は毎日ガシガシ描いていたのですが、今は、そういうわけにはいかなく、疲れは次の日の仕事に致命的だからです。

では、最近の絵画の衝撃、

小林孝至はすさまじき天才だ。これは真似できない。彼のようなやりかたで描くとわたしの脳みそと体力がもたない。しかし、小林君の狂気から生み出すセンスは真似ている。それだけを摂取している。自分の絵画制作の筆使いとかテクニックを小林君のやりかたを使う、思い出す。小林君のような天才は天才を維持し続けている。だから、すごい。

加藤亮さんは、ピカソの後継者だが、彼も天才だ。神秘的な究極の境地にいたっている。神々しくある。加藤君は今、作家活動休止中であるが、また出て来ると思う。出なくても後世のこると思う。どこかで発見されて事件的なアート界の衝撃になるだろう。

安東伸輔さんは、親友である。けんかばっか、論客であり、お互いに成長しあい、刺激しあい共に成長し闘っている。ばかなことを言い合って遊んだり、酒の付き合いでも議論のしあいでも刺激しあっている。彼からは、ほぼ同等の絵画技術であるのか、敵とかでなくお互いに成長するためのライバルだ。そんな友人もいていいじゃない。この安東さんお陰でけっこうたのしい青春をすごせている。40歳近い年齢の友人同士で遊興をともにしてお互いに研鑽し合い成長の試金石だ。安東君からはほとんどすべての絵画的な考え方を吸収し会話の中でも共有している。おそらく、お互いに友情がつづくためには文芸や美術、アートをやっていないとここまで10年の付き合いもないだろう、芸術をやっていないと私は安東さんの友人でいられないだろう。それは安東さんもそうであろう。芸術の研鑽をやめたらおそらく友人出来る事が維持できないし成長もできなくなると、お互いに必要と感じなくなるだろう。ゆえに、好敵手でなく、成長するための親友関係でありライバルなのだと思う。

谷神健二さんは、私の初期の絵において目標にしていた。伝説の画家だ。現在、個展とかグループ展に行ってお会いして、この人を越えなくてはいけないのだなと思いつつ、だったが谷神さんは柔和な人ゆえに優しい人だった。まだ、谷神さんの境地の完成度の高い絵を制作する時の試金石にしている。たとえば、自分の絵をピカソの絵と並べて負けているか勝っているかの勝負、谷神さんの絵は完成度で勝つか負けるか。でも、勝てないのだよね。僕の絵はけっこう手抜きのところあるから5割くらい近づければいいと判断します。

河口聖さん
神秘の扉をひらく、宇宙の通路、幾何学と哲学、これはやばいと思った。最初は、円が描かれていた絵を見たが、将来、ぼくが塾をひらくときの紋章にしようと思ったのだ。プラトンのアカデメイアを私はイメージした。あと、僕が抽象に移行するときの背中を押してくれた絵であったことも事実だ。ぼくも今でも抽象画の実験をしている。それは思想や哲学など、そういうイデアの世界を画家を通して降ろすパイプとなって絵を描く方法をやっている。哲学絵画の先駆者なのだろう河口さんは、おそらく後世にのこっていくだろう。そう思うよ。画家と言えどもやはり哲学的な発想は大事だと教わった。幾何学はあまりに完璧な絵画だが、河口さんの絵を見ると他のジャンルも制作されて、ご年配であるが現役で活動している。健康っていうのもおそらく大事なのだと会って思った。体は大きく丈夫、手は厚くて練達された職人の手であった。絵がいいだけじゃなくて作家の健康も作品に影響するのだろう。
かえって僕は病弱なので絵が病的なんだ。病的な絵は描けるが、河口さんのようにギリシアの健全な体は健全な精神によって完成度の高い絵を制作するまでいかない。なので、わたしは病気は一生治らないのでわたしなりの絵を長所ととらえて運命をうけいれる勇気も必要だと思った。

まあ、いろいろ制作について書いてみましたよ。

いろんな画家から影響を受けて自分の作品というものを作っています。まだまだ、いろんな画家がいますけど、今後も書いてみたいと思います。

この前はセザンヌについて書きましたが、あと、ピカソ論、も書きました。興味あれば読んでみてください。

ここまで、読んでくださり感謝します。ありがとう。

西暦2019年11月2日 朝、薬局まちのときしるす

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