甲斐光省画伯の絵を朝の会展で観て、「白い服の少女」


先週の日曜日に銀座に行った。朝さわやかな街をあるく。わたしは友人と銀座、洋協ホールへむかう。そこで、休日のアートな体験をするため、「朝の会」展を観に行くのであった。

長い螺旋階段をのぼり、展覧会場にむかう。足がけっこう痛くなった。

展示室に入り、さまざまな絵画作品をみる。その会場は喫煙室もある。あとでタバコをくゆらそう。ピンとくるものがいくらかあった。それは、甲斐光省画伯の白い服の少女である。なかなかいいものだと思った。色があざやかで幸福になっていくそのように誘導される光の芸術でありました。少女はすこしうつむき絵自体のさまざまな線の色で光が輝いている。同伴してくれた友人もいいなと
言っていた。


わたしは、いくらかこの休日の時間をアートで花やいだ。「白い服の少女」の絵に幸福感を感じた。それがとてもよい気分になった。美しいものを見るとストレスフリーになるという。わたしはそれを実感し体験をした。甲斐画伯は色というものにさまざまなチャレンジをしている画家である。ある時はポール・ゴーギャンに影響を受けたものを描いたり、それを発展させてご自分の芸術の高みを目増としていることがうかがえる。あと、デッサンの専門家で線の切れ味が絶妙であるのはもちろんだが、構図においても数学を駆使して作品を作っている。

もはや、画家というか芸術家になっている。つまり万能であるとうことだ。

少女はどこをみている。少女は画家を見ていない。すこし頬をあからめこちらをみている。白い服がほわほわしてあたたかそう、色のあたたかみが鑑賞の時に網膜に温度を感じる。まるで平面のキャンバスが熱を発しているかのようだ。

私はこの絵を見て幸福感を覚える。不思議だ。

絵にそこまでわたしの心を動かすものがあるのだろうか?しかし、それは現実。

網膜の中で現象が起きている。

甲斐画伯はわたしの師匠である。いろいろ世話をやいてくれる親父的な存在だ。今でもこのようなおじさんとなった僕でも気にかけてくれる。ありがたいと思っています。

たしかに、わたしが若いころ指導を受けた。

自由にさせてくれた。それが嬉しくもある。僕は、自主制作しかしなかった。半紙に毛筆と墨で絵をひたすら描いていた。自由にさせてくれたのだ。

わたしは油絵とかは家で描いていた。一人じゃないと集中できないたちだったので基本、重要な作品は一人でキャンバスに向き合い汚したり削ったり塗り込めたりしていた。

甲斐先生から絵だけでなくさまざまな礼儀作法であるとか社会人のマナーを教えてもらった。それで人様に出るためのおしかりと訓練もした。感謝でいっぱいだ。

画家は絵が描けるだけではいけない、ちょっと絵が描けるだけでなく、さまざまな知識を学び教養を身に付けなくてはいけないよ、とも教わる。

ゲームに興じてはならないということも、学べる時はしっかり学び、制作できる時にしっかり制作する事を教えてもらう。

色に関しては甲斐画伯は絵の課題にしているようである。わたしのような者であればあまり考えずに感覚で色を使うのだが、甲斐先生は学問的にまで体系化してわかりやすく教えるのが得意であり。わたしのような者でもわかりやすく指導してくれた。そんな思い出がある。

「白い服の少女」

この絵はなんだか幸福になった。そんな絵だ。その次の日から仕事に邁進するエネルギーをもらえたし、その絵を思い出して、その聖なる少女は私の中で神格化されていくようであった。

そうわたしは思いました。

コメント

  1. 『白い服の少女』という絵でここまで心が動かされるのは素晴らしいです。絵を理解できる感性があるのでしょう。私にはありません。これは絵を見るあなたの才能です。甲斐先生もいい人ですね。礼儀作法などをおしえてもらって、師匠と呼ぶにはふさわしいですね。

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    1. そうです。いろいろ教えていただきました。大変感謝しています。恩師の一人です。コメント感謝します。あなたにも幸運がありますように、良き日々を、ありがとうございます。

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