アートな雑談


今日もこうしてはじまりましたね。僕は今日は公休です。朝はやくから喫茶店に入ってこうして原稿をガシガシタイピングをしています。いつも、何を考えているか、やっぱり自分の作品制作について思考しています。今年の展覧会のスケジュールを画廊からもらったので作品制作の構想を考えていますのです。

コーヒーの香りがいいな、ケーキもうまかった。わたしは何をめざしているのか?それすらもなくなったのかもしれない。若いころのエネルギーは思いっきり消費して燃焼した感じがする。それでけっこう、満足しています。今は、仕事に精進しています。さまざまな所で懸命にやっています。

絵とか詩とか書、文は暇つぶしの趣味なのか、いや、そりゃ趣味だって意識を低くしてはいけない。こうした詩文書画は精神を高めたり、楽しみであるからたとへ趣味であっても懸命にやっていますよ。

僕はよく小説書かないかと言われるが、実は小説はあまり読まないし、楽しみ方を知らなかったりします。むしろ、自分が読む物って美術書、思想、哲学の類であったりします。なので、小説はあまり楽しいと思わない、なぜ、たぶん僕は早く答えが欲しいのだと思います。ストーリーをたのしむ趣味を持っていないからだと思います。でも、小説が好きな人は好きなんだろうなと思います。

僕の好きな文章は、どうでもいい断片の文章とか好きだったりします。あと、事実を書き綴った書館とかもけっこう好きです。

しかし、事実をそのまま事実に書くと気をわるくする人もいる。私なんかもわたしの事実を書かれたらそれはそれで参考になるのだが、普段、後ろめたいことをしている人にとっては告発のように思えてショックを受けるのでありましょう。

事実の衝撃性は、太宰治もやっている。太宰の文学は平面的という人もいますが、あれはかなりリアリズムだと思うよ。マジなリアルだからこそ生々しさがあるのだし、衝撃もあるのだ。リアルというのは力があるのだと太宰先生は証明したと言えましょう。

かえって空想は軽い、息吹けばどっかに飛んで行ってしまうくらいもろいであろう。

今、絵を描いていますよ。B1サイズのアクリル画を描いていますが、ガシガシ描いてはいません。まだまだ完成には遠い気がします。そういう制作もいいのではないかと思います。これは空想の少女二人を描いたものでありますが、つまりモチーフやモデルを見ないで描きます。でも、現実感があるかないかというと無いかもしれない、そういう意味ではモンスターであり、紙に描かれたバーチャルリアリティーになると思います。

空想の絵をいかにリアルにしていくか、には、リアルのモチーフ、モデルを描きまくり、よりバーチャルの材料にしていくために、リアルを無意識に記憶させることです。そうすると本物っぽい絵が見ないでも描けます。

絵は販売もしますが、基本的にいって文化活動だと思っています。商売とはまた違っている感じもします。僕が絵を発表し続ける中で、がんばろうと思ってくれる人もいるし、いわゆる芸術の灯みたいのを火を点けて照らしているだけかもしれません。それでいいと思います。

画家でご飯食べていける人は少ないと言いますが、発表して誰かがその作品をみて励ましを与える事もあるでしょう。売れないから決して無駄というわけではない。

職業に従事しながらアート活動をやっていくのがまっとうなアーティストの姿かもしれない。

絵に呪われて、働かず、絵を描いて毎日遊んで暮らす人もいるでしょう。そういう人もいることもあるでしょう。それには多少、疑問を思うが、やはりそういう人は貧しくやっている。そういう意味ではそういうガチで絵をやっているのは何かな国か企業で保護してもいいんじゃないかな。でも、作家の人格に留意するべきかもしれませんが。

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