無の生き方に近い
何も優劣を決める必要は無い。すぐれているものになれなかったわたしが言うのだからそうなのだ。
しかし、劣った者はやる気さえあれば下剋上もあるだろう。
僕はその勝負を放棄している。もう、なにも戦うなにかもない。
つまり無だ。無にいたってしまった。こうした、文章を書いていると、優れた者はわたしをただの劣った者の遠吠えだと思うだろう。
その、試合、自主退場してしまえばその勝負はしようもない。
つまり、僕は自由人なんだな。
自由人に何言っても戦闘モードにならない。戦おうとしても戦ってくれないのだから。
むしろ、戦闘系の者にとってはやっかいだ。試合をしてくれないのだから。
これぞ、下剋上かもしれない。戦わないものが勝つこともあるが、そこに優劣は無い。
これは何を言いたいのかというと、あまり他人の挑戦に、または挑発に乗らないことだ。もし、その挑発に乗ると利益が奪われる。お互いにね。
できれば、チャンスを見て、漁夫の利を得る方がいい。傍観も大事な時もある。でも、時代は行動した者に恵みが与えられる。
いつの間にか、結果を出せればいいのです。
人生で大事なことは、
1、生きる力
2、天運
3、流れにまかせる
ことです。あまり無理しないことだね。自然にまかせた方がいいよ。でも、生きる力は重要だ。日々、懸命に生きて生活して仕事してやっていればいいのですよ。それで天運がついてくるし、天もそんながんばっているあなたに何か感じてくれるかもしれない。それで、日々懸命にやって仕事して給料をもらい、流れにまかせていれば何となく僕の人生これでよかったんだなと、のほほんと生きていればまあ、平和だなと思ってしまう。
満足してしまいますね。
若い人はそうはいかないかもしれない。若い人はどうしてでも運命を切り開こうと熱心にがんばるからね。それは止めないよ。がんばりまくってください。
僕は、若い人はすばらしいと思います。夢をもっている人はすばらしいと思います。
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