画論 デッサンについて1


画論

1、デッサン

藤木師はこう言った。デッサンは絵の基礎である。デッサンできればどんな絵にも対応できる。なので本多君、デッサンに一年は懸命にがんばりなさい。

甲斐師は言う。デッサンは描き込むことが必要だ。紙をつかいまくりデッサンしまくりなさい。

羽賀氏は言う。デッサンは軽やかでなくてはおもしろくない。デッサンだけで芸術作品にならないか常に考えてきた。それは線に芸術性を見出したい。それはクロッキーという画家の下絵に過ぎない絵を芸術にまで高めたい。重い絵より、軽妙で軽く楽しい絵が私の目指すところです。

デッサンは絵の基礎であることは真実だ。デッサンできなくても絵はできるが、デッサンは絵の中でも知性を表し、絵の構造を示すものである。

甲斐師は言う。幾何学を学びなさい。わたしが本多君に幾何学の書き方を教えます。これを宿題にします。

絵の中に幾何学の構図を作る事で、絵の中に神秘を残すことであるし、三角、円、四角形に絵の形をおさめることで見る人の視覚が合ってくる。幾何学は形の中でも完璧な数学的神性なものであるから、

河口聖さんの絵には幾何学を多用している。それが神秘的なものと哲学を表している。幾何学の可能性には神秘への入り口とともに真理への道へいざなうだろう。

羽賀君のデッサンを描いている現場を見たことがあるが目が狂っていた。そこまで真剣にやるのかというくらい狂気のオーラを出していた。

デッサンを真剣にやると脳内麻薬が出て来る。これは違法の麻薬でなく、絵は人を狂わす何かがある。

甲斐師はこう言った。人物が描ければどんな絵でも描けるよ。だから精進しなさい。

藤田嗣治にならい墨と半紙と毛筆の筆で絵を描く。これがはまった。毛筆で絵を描くのは楽だ。あまり力を使わないので楽にすいすい描ける。筆圧も鉛筆と比べると楽。筆圧を調整する事も可能で細い線や太い線、自由自在であります。墨を硯ですって、墨で集中して描く。なかなか趣がある絵ができるから面白い、僕はドはまりした。

墨と毛筆でのデッサンはあまり絵が上手でなくても作品が上手く見えてしまうという魔法の画材であります。

鉛筆はねりゴムがあればいくらでも修正もきくし、線を細くしたりして調整もできる。デッサンの友であると言えます。ねりゴムが無くても本番一発で絵を描く人もいますが、そのような境地に行っている人は熟練の技だ。それができる人にあったことがある人は安東君だ。彼は一発で傑作のデッサンを質の高い作品にしてしまう。


デッサンは画学生がよくやっている。しんどいなと思う。



羽賀氏は画学生時代、デッサンが上手でなかった。ビリからのスタートだという。しかし、今の現在の絵は巨匠のデッサンレベルまで行っている。安東氏曰くコンプレックスを埋めたくて必死にデッサンに精進した。

デッサンはいたって知的な構造物である。知性が無いとデッサンはむずかしいだろう。むしろ、デッサンは脳内のホモンクルスを生み出すものであるかもしれない。

路上芸術家でガリュウテンセイさんがいるが、点で絵を描きまくっている。彼は路上に住んでいる。純粋な心で絵を描いている。10年ぶりにあったが、目が輝いていた。相も変わらず点描をやっていた。そして、瞳の輝きは失われていなかった。


点があつまる絵で草間彌生さんの絵が思い浮かぶ、あれは魔術的であり、オカルトな可能性を見る。あれは宇宙なのかなと思う。点の多様さは病的にもなるし、魔法的な光を閃光のように目に焼き付けていく。

デッサンは知的な産物である。



コメント

  1. いろいろな絵描きの人を通じているのですね。それにしても師の言葉などデッサンについて、いろんな人がいろんな意見を言っているのを覚えているのはすごいですね。メモを取ったのでしょうか。墨と半紙を使い新しい芸術を初めてみたらドハマリしたのはよかったですね。私は本多さんの新しい作品が見たいです。

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    1. まあ、覚えているものです。メモとったわけではありませんが、耳に焼き付いていてそれを僕の言葉に異化した表現であります。僕の絵を見たいのですか。そうですか、コメント感謝します。画像を今度、発表してみたいと思います。あなたは私と面識があるのでしょうか。あなたも、楽しんでください。ありがとうございます。

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