画論 絵について1
画論
絵について
絵がそれほど上手でなくてもいい場合がある。あまり上手すぎるとつまらなくなる。なにかなすこし下手な所があって、一生懸命に描いていますよっていうところがあると何かしらないけど面白いというか華を感じる事がある。不思議なことだけどね。
ゴッホの絵がなぜ感動するか。ゴッホの絵はまじめな画家がみたら異端に思うだろう。一生懸命アカデミックな方法を学んだ人から見ると下手だなと思うだろう。しかし、ゴッホの絵は時代を越えてのこっている。しかも、彼の絵に魅せられて取りつかれてしまう人もいる。美を知っているのだろう。ゴッホの分かる人はわかるのだろう。その美が、太陽の輝きが!
絵にも華が必要だ。
絵は上手ければいいってものじゃない。その意味をあなた自身で発見してみてください。
アートの美は、日常でも使える。画家の友人が美意識でもってモノを選ぶことがあって、それが大変よい結果を出したと言っていた。美意識は社会の中でも、人生の中でも彩っていくのでありましょう。
アートはかならずしも結論を出す必要はない。問いかけだけでいい。鑑賞者にその作品の価値の判断を与えればいい。そうすれば勝手に作品が動いてくれる。評価が市場にまわっていくことになるでありましょう。作者では考えもしなかった感想や評価がまわっていく。作品は問いかけで、それでいい。
絵を観る事は、美術館、ギャラリーでなく、自宅でも可能だ。現代は絵を購入できるようになっている。少々高いこともあるが、自宅でアート体験もできるのでいいかもしれない。ゲーム買うか、アートを購入するか。どちらもおもしろいだろう。
人格と作品はつながっている。作者がわるければ、作品もわるい。作者がよければ、作品もよい。
作品をみわけるばあい、作者もみたほうがいい。よいかわるいかは法律上のものでない。美意識で作者と作品を判断しておこう。これができればいい人か、わるい人かの判断が人生の生きる中で判断つくこともあり、知性の鍛錬になるだろう。
絵画を制作できる人もいるし、できない人もいる。でも、絵はそんなみがまえるものでもない。誰でも描ける。紙とペンがあればそれで十分だ。そこから始まっていく。そして、それなりの作品ができるためには長い時間がかかるだろう。急には上手にならない。だから、ながい旅なんだ。絵を描くっていうのは!だから焦らず、やっていきましょう。僕もあまり上手くないので修練を積み重ねたり絵をコツコツやっています。でも、人生は絵で終わる事はないでしょう。多分おおくの人がそうです。優先するべきは家庭の幸福であるかもしれません。家が基本です。そのための仕事です。絵はほとんど末端の趣味中の趣味です。まずは、家庭を大事にしてください。そして、日々の仕事、
絵は気が狂うこともあるから、危険要素はあります。作者が気が狂いながら制作している場合もあるし、そういうつもりがなくても、展覧会に出品して鑑賞者が感極まって泣いたり、狂った感情になることがあります。時に、絵によりますが、見るマリファナになることもあります。
コメント
コメントを投稿