美術を楽しもう、1

今日もこうしてはじまりましたね。これを読んでいる人は、夜のふかい世界での夢でしょうか。それとも朝や昼にかたてまにスマートフォンで読んでいるのでしょうか。どちらにしても、たまたま僕と縁がつながってこうして読んでくれている感じがします。

さて、これからはちょっと本題に入っていきたいね。僕は絵をやっているわけでありますが、これも趣味かもしれないし、そうでないかもしれない。でも、絵を描いては発表をしています。普段は勤労に励んでいますが、休日だけは芸術家でいられます。

職場、芸術家、家の人と三つの顔をを持っていますね。でも、切り換えればそれは可能なんです。

今、これを書いているのはカフェですね。ケーキとコーヒーをたしなんで茶をしています。音楽を聴きながら文筆活動しています。文筆における野心もなんか無くなっちゃってね。まあ、なんか落ち着いちゃった。でも、まあ、楽だよ。

僕のことを哲学者という人がいますが、僕はたしかに昔においてむずかしい問題にあたってそれを考察して探求していた時もありましたね。その名残かもしれない。


でも、今はそのような問題を自分なりに解決して終わってしまった。

むかしむかし、先生が自分に満足するとそこから進歩しなくなると言われた。その通りだと思うよ。もう、僕の内面に抱える問題やそういうのを解決することもしなくても生きていける。

人生の整理をしている今、僕は自分を調整している。荒れた自分の精神を調和しようと励んでいる。余計な人脈も無くなって行った。それで、脳が清まった。荒い波動が苦手なのでそういうオーラを感じると具合が悪くなって不安定になって、苦悩する事もある。

絵のことを考えた。僕はけっこういろいろなモチーフを描けるし、なんでも屋ですね。でも、できる絵はそれほど上手とは自分でも思えないが、おもしろい絵だとは思っています。

パウル・クレーの絵画作品は下手だ。でも魅力的だ。でも、上手い絵を観たいか、写実に行った絵は返ってあまり見たいとは思わないが、むじろ吐き気がしてしまう。下手な絵が好きなんだな。僕ってやつはね。多分、絵に下手も上手っていう常識はもはや20世紀でなくなっているような気もする。

 美だな。美を感じ取る能力が必要だ。自分が美と感じたものを見ればいいし、描けばいいのだ。

そういう意味で、絵は美という感覚で観た方がいい。実際、常識的に観て下手な絵がなんかすごい魅力的に観えて購入する人もいる。美術コレクターもそりゃ美意識はとても大事になってくる。

思考する絵というのがあるが、とりあえず、見えればいい。そして、その絵に感じるものがあるならそれが美の本質があるのだ。時にはメッセージが入っていたり、暗号が仕込まれていたりする。そういう絵もある。


見るのも訓練がいる。美術を見るのも知性がいくらか必要であろう。だからといって知性が無くては見れないものでもない。感性に訴えかける絵もある。もっと言えば感情に動きが見られたらあなたは美術を楽しんでいるのだ。

コメント

  1. たしかに絵の上手すぎる人の絵はあまりつまらない気がします。
    写真のように絵を描ける人もいますがそういう人の絵をみても、一瞬「リアルだ」で終わりですからね。やっぱりすこし狂るった現代アートの方がいいです。本多さんの絵をもっと見たいな。

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  2. コメント感謝します。そうですね。写真みたいな絵はわかりやすいので売れやすいし、高く売れるのではないかと思います。そういう方向が今、職業として安心できる技術だと思います。しかし、現代アートのようなものは博打性がありますし、ギャンブラーみたいなところがあります。そういうものでもチャレンジ精神に共感します。私の絵はあまり大したものではありませんが、観る人によっては素晴らしく思えるかもしれないし、単なる壁紙にしか思わないかもしれません。それがアートの面白さでありますね。コメントありがとう。

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  3. 写真の絵より現代アートの方が私は好きです。あなたの絵は現代アートでいろいろ考えをめぐらされることころがあってとても素敵です。

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