アートシンキング

今、けっこう楽しい。音楽を聴いているからかもしれない。久しぶりに音楽をたのしめています。カフェで茶をしながら音を聴いている。それがすごく幸福感にふるえる。普段、音楽をあまり聴かないのでこうしてカフェでゆったりしてイヤホンで音を聴くのがすごく最高な時間になっています。これはけっこう幸せなのではないかな。

 生産性が大事なのか、それよりも知的生産術が大事なのか。世の中には仕事のことで悩んでいる方々は多いし、僕もけっこう毎日、頭つかって工夫して仕事のクオリティーを上げる様に自分なりに工夫して会社に生き残っている。そのお陰で今現在まで働けているのだ。解雇にできないくらい仕事をしっかり、自分のポジションを役目を果たしているつもりであります。ただ仕事するだけではやはりいけないのだ。なんというかプラスαが必要だ。そのαがわたしはわたしを守っている感じがしますね。

 プライベートで絵を描いているからだろうか、なんとなく開放の仕方を知っていることはあるからなのかな発想がでて来るアイディア工夫の仕方、自分が怠け者なので楽にやって質の高い仕事というかそういうの、アートは価値を作っていく。それはどこでもそうだ。社会生活の中でもアートシンキングで染み込ませる。アートは価値を創造する、それは会社の中でもそうだ。

一言でアートと言ってもいろいろある。音楽、美術、演技、工芸、工作、文芸、音楽、歌、いろいろだ。それらに固まってしまうと開放がむずかしいが、アートはやっぱりプラスαであり、なにか仕事に質と美的なものをもたらしてくれる。それは言葉では言い表せないが、なんとなく、効果がでてきたりしてくる。普段の所作においてもそうだし、なにかあるね。

なので、アートをやることは僕にとっては無駄になっていない、むしろ知的生産性に効果を出しているのが顕現していることを実感している。

そんな私もアート制作においてそれほど名士でもなく、高い技術、神のような芸術を制作する人ではないのですが、なんとなくアート意識が私には根付いている。ビジネスパーソンであってもアートをやることは僕は大事だと思っています。でも、みんなアートをしてとはいえない。暇があったらアートに接して感性を磨いてみるのもいいかもしれません。少なくとも僕はそうでした。

モノづくりって意外に使えます。モノをつくるっていろんな工程があってA、B、C、Dと順番に作っていきます。それがA、Dといきなり完成させることもあります。いわゆる熟練の技によってすぐできてしまうこともあります。道具の使い方と知性によって生産性が工夫によって早くなって、怠ける時間もできるということもあります。

モノづくりってけっこう大事です。それは工芸でもいいし、絵を描く事でもそれはありますね。絵の場合は材料の使い方次第だし、デザインの仕方も大事だね。

僕は美術学校時代、異色の変わった劣等生でしたが、意外にそれでもいいこともあります。絵の才能が無くてもその絵を描く作業において、制作において、さまざまな事が学べてその後の社会生活において大いに自信になったし、意欲にもつながっています。

実際、今でもそれほどの絵は描けていません。でも、確実にいい絵を描く方法も知っていてそれは手間のかかる制作です。そういうのは即興でなく設計から下絵、絵の具を使い、溶剤をしっかり効果的に使ってしんどい制作をします。そうすると時間が経っていいものになっていきます。いい作品を描くには手を抜かない事です。そして、時間をかける事です。それは難解な問題を解くのと似ています。もしくは有段者の将棋の棋士との対決のようなものかもしれません。

諦めなければ傑作は可能だと言う事です。


しかも、難解な仕事ほど、達成した時、その誉れも受けられると言う事です。たとえ誉れを受けなくても自分の個人的な自信にはなるでしょう。

コメント

  1. 仕事をしながら美術に打ち込んでいるのは感心できます。すごいです。AからDに作るというのはすごいですね。すでに頭のなかに絵の構想が入っている感じでしょうか。

    返信削除
    返信
    1. コメント感謝します。絵を描く人はもしかしたら、描く前からその構想はあるかもしれません。美術に打ち込めるのはありがたい事だと思います。Aからのイメージにおける想像、観念計算は訓練していけばできます。目に見えない世界をプログラムする思考がポイントになると思います。一人になる時間がポイントかもしれません。コメントありがとうです。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

𣘺本悠 個展 NGG中野銀座ギャラリーを観て、筆者・本多裕樹のアートの旅。 2024年3月24日日曜日~3月30日土曜日

新藤義久の写真の世界 批評 本多裕樹による

喫茶店 June 本多裕樹展 2024