生きていることの余韻
今、制作しているのは「文学とアート」のためのB1サイズの絵を一点、あと、2月にある極小の美展のはがきサイズの絵を30点を完成している。
どちらもギャラリーK で開催される展覧会である。
僕のやっていることを趣味ととらえる人もいることも事実である。ねたむ人もいる。しかたない。それほど大金を稼いであるわけでもないし、そう思われるのもうなずける。
しかし、そこにはねたみそねみもあるだろう、そういう意味で自分のやっていることは隠すのが賢明に思うよ。あまり、ガシガシやっているとねたみそねみに遭い嫌な気持ちになってしまう人もいるのだ。
人生はサバイバルだ。特に成人した男性はもう生き残るために何でもしなくてはならない。
その中でも礼は大事だ。
礼なくては人は動かない。暴力的な威圧では人は動かないばかりか、人が離れてしまうのだ。
礼なくば神様も動かない。これは厳然とした現実だ。礼をもって神にお仕えしていかなくては災いがやってくるし、神徳により守られることは無いだろう。
何度も言う、人生はサバイバルだ。生き残るために何でもしなくてはならない。生きなくてはならない。
生きる力が絶対的に必要であるのだ。
生産性なんて無くても生きて行かねばならない。それも美しく、その美なる生き方でもって生き様をのこせばいいさ。
私なんかも障害者であり、それでも一般企業で働いている。障碍者だから、ダメではないのであって根本的に生きるという意志さえあればいい。
大事なのは生きる事だ。それも美しく。
そういう訳でただ生きているだけでもいい。それに加えて生きる意志、生きる力があなたを輝かせていくだろう。
そうすると挑戦していこうという気持ちになり、おもしろくなってくる。人生がおもしろくなる。勝負が勝負をひらき、挑戦によって世界がひらいていくだろう。
礼節、調和というのは意外に生きていく中で重要なサバイバルな知恵だ。
僕なんかはいくらか荒くれものであるが、荒くれであっても礼・和を大事にしようとしているのだ。でもね、宗教家のごとく坊さんになるわけでもない。
自分は自分を演じきれればいいのだよ。おもしろくやっていけばいい。それでいいのではないかな。
まあ、こんな感じで、サバイバルな人生をおくっているのです。僕は僕一代で終わる感じもしている。真似がしづらいし、模倣性があまり感じないだろう。
とにかく言えるのはサバイバルと、目の前にある課題を実行していくくらいですね。そして、将来も自分で作っていくものです。人生は自分で創造できることを自分は証明してみようという感じでいます。
今もこうして創造している。
芸術家として、その可能性を創造している。仕事もしっかりやって、芸事もしっかりやって、なにか伝説をつくっていきたいし、今まさにつくっている。自分の人生をおもしろく、芸術の余韻を残せるような存在になりたいと思っています。
まあ、これは目標であり、現在進行形でやっている人生という活動です。
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