最近のこと、美術のこと
僕はけっこうな馬鹿な人だと思うよ。その理由というのは調和ができていないことだ。今、懸命に人付き合いを積極的にやっているが、なかなか上手くいかない。家ではあるいみでくのぼうである。
その調和、礼節に知恵が内蔵している感じがしてます。
知恵が欲しいから、調和、礼節を身に付けたい。一つ変わりたいと思っている。究極の課題である。
これを成したい。
美術、絵画をやっていると完成した作品をみて、増上することがある。絵が売れても増上する。いけないことなのだ。嬉しさのあまり自分が偉いのではないかと勘違いする。このクセをなくしたい。
心を修養して、しっかりした人間にならないとこれから生きていけないだろう。それは必須なのだ。
バカであっては僕は生きていけないばかりか、仕事も失い、人望は失い、貧乏になってしまうだろう。
そういう意味でおもしろい、人生はサバイバルだ。そう思うね。
もちろん、馬鹿と言っても僕のバカさというのはとんでもなく暴人なのだ。これを改めよと天啓みたいなサインをたくさん見かける。今、変われとのメッセージがいっぱい警告してくる。
さて、絵の事に話をもって行こう。絵の世界ではコミュニケーションがかなり重要だ。作品のお披露目のオープニングパーティーやお客様への対応も大事な仕事だし、作家の間のなんとなくだが派閥に近いところもあるところにはある。でも、それは実際、僕は苦手なんだが、なんとか生き抜くためにやっているのが現状であるのだよ。
河口聖さんと話してて、生き抜くためにはなんでもやらにゃならんと教わった。
作品のプレゼンテーションもかなり必要だ。自分の作品を説明しなくてはならないし、それはどこの美術展でも作品紹介はあるし、とくに合評会ではあることなのであるよ。
作品がよくても作家がよくないと作品が売れないことがあるし、評価もされないこともあるにはある。それは私も経験しているし、そういう判断で作品選びすることもある。
若い人をある程度は認める必要もある。新人でもすごいのがいる。時々、天才がいるだろう。そういう人にはよしみを結ぼうとしてもかえって関係が作れない場合がある。でも、そういう人はトントン
拍子で成功していくだろう。
僕なんかはとろいのでゆったりしていく感じだ。そういう人を選んで仲良くしていく感じです。
実際、政治なんだな。人間関係は政治だし、作品を広げたり売ったりするのもビジネスだね。自分の画家生活においてどのように攻めて発表していくか、どういう成長を目指して行くか。そういう事もノートを取り出してペンで設計しなくてはならないだろう。
ドラッカーも言っていたが、商売の基本は顧客の創造であるのだ。客とも密接に関係を作っておく必要もある。
美術コレクターにおいてもなんらかの成功する可能性もあるし、そのお陰でコレクションのすべてが価値を持ち、コレクターも著名になることもあるからだ。
まあ、ここまで書きました。ここまで読んでくださり感謝します。
ありがとうございます。
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