「デッサンと修養」
「デッサンと修養」
今日もこうして始まりました。今日も語ってみたいと思います。まあ、自分のことを語るのも大事だし、みなさまの何か共鳴するものがあってもなくてもいい雑文という形式であるがゆえに、言葉が綴られていくでしょう。
では、アートのことですね。これくらいしか語ることがないのが僕の限界であると言えますね。昔々、ドガという印象派の画家がいたのですが、彼はとにかくデッサンしまくったそうです。アングルという当時19世紀フランスの画壇の先生に教わって、とにかく線を引きなさいと指導されたのがきっかけでとにかくデッサンしまくったそうです。
このデッサンっていうのは鉛筆で紙にモチーフを写すものですが、それが実は絵の基本であり、絵の設計図になったり、そして、絵の知性でもあるのです。デッサンができるかできないかで画家の資質が問われるものであり、画家にとって生命線であるとも言われています。
デッサン 素描、ドローイング、クロッキー。様々ペンと紙さえあればできる絵ですね。それで素描家という職業もあって新聞の挿絵なんかも描いて生活費を得るような人もあった。
デッサンできることにおいて表現の幅も広がっていきます。例えていえばPCのプログラミング言語みたいなものであります。デッサンによって絵は始まっていきます。それから他の着彩に向かうことができていきます。
では、デッサンが描けるようになるためにはどうすればいいでしょうか。それはドガ先生のようにモチーフをよくみて鉛筆によて紙に写す修行をすることです。最初は下手な絵ができるでしょう。でも、そんなの関係なしに、モチーフ、風景、静物、人物、花など描くのです。最初から上手く描ける人はこの世にはいません。みんな子供のお絵かきから始まります。レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだしミケランジェロもそうであったのです。とにかく描く事で一歩一歩進歩していきます。
絵は急には上手くなりません。けっこう時間が必要です。そういうものです。ある時、いい絵も描ける時も来るでしょう。いつかね。
しかし、学生はすごいと思います。あまりにもストイックすぎる。美大受験を控え、懸命に精進する。甲子園を目指すかのように懸命です。そういう人はどうあっても上手になるでしょう。青春をかけて絵にぶち込んでいます。正直、僕のような素人では勝てる気がしません。
美大受験はおそらく、野球やっている人に例えると甲子園を目指す感覚であると思います。
絵はけっこうしんどいので精神を病んでしまう人もいるそうです。
でも、そういうリスクがあってでも掴みたい絵の魔力はものすごいとしか言えない。
美大芸大志望の学生の天才の方々は燃焼して受験に合格するでしょう。
頑張るべき時に頑張るのはその後の将来の自信になり、大きな達成感となって幾多の難局といえども乗り切る力になっていくでしょう。
美大芸大に行ってピカソにならなくてもいい。なってもいいのだけど、その後も芸術人生は長くあるでしょう。
自分のペースで人生というデッサンを描いていきましょう。
それがあなたにとって幸せであることを祈ります。
お花のようなものが飾られていて、カーテンがあることで部屋の中にいて窓ががることがわかります。よくできた素晴らしい絵です。フライパンにのった食べ物もおいしそうです。素敵な絵をありがとうございます。
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