ギャラリーK 「美の起源」展 上田靖之さんの絵を見て
ギャラリーK 美の起源展
上田靖之さんの作品を見て
今回で一番大きな作品と、中くらいの作品3点は僕の心に響く何かがあった。上田靖之さんの絵について思い出してみたいと思います。
この絵は抽象画である。しかし、作者の上田靖之さんは違うと言ういたってリアリズムだと言う。でも、リアルの定義、写実の定義ではこの絵は捉えることはできない。上田靖之さんのリアルは肉眼で見えるリアルではない。もっと意識における網膜から、それも時間も空間にも支配されない芸術家の第三の目を持っているからだ、それが開いているのだ。そこから見える時空次元であると言う。
上田さんがなぜそのような目を持っているか。上田靖之さんは北海道出身で森や草原の広がるところ山々に恵まれた地域で育った。そこをいいところと思うかもしれないが、一つ志があった。
「そこから出ていろんな世界を見聞したいと」
それで中学を卒業したらすぐに15歳で自活して働き、その給料の資金で世界中を回った。
僕は、上田さんのお名前はかねがね聞いていていけているおじいちゃんとの情報があって、そう言う方なのかなと思っていた。しかし、実際は確かにおじいちゃんの年齢であった。64歳くらいでいでたちはちゃんとスーツを着ているににサーファーのような風貌をしていたのだった。それで元気であり、2日間くらい寝ていないとも言っていた。そう言うことがけっこうあって、寝るときは眠たくなったら寝る起きるときは起きる。この展覧会が終わったら海外に出品するため行くそうだ。飛行機に乗って。
そこで、僕はこの元気でいけている芸術家にいろいろ話を聞いた。
絵そのものから、出品作品を通して制作論が中心に語ってくれたのだった。
白い藤田嗣治のキャンバスに深い乳白色にも似た絵があった。そこには女性がサングラスを描かれていた。それは偶然らしい、ほとんど自動書記のようにオートマチズムに描かれたこの絵に上田さんの芸術のポイントがあった。
偶然は必然、そして、それは絵の世界があってそれは生きている。生きているがゆえに時間の中で動いている。その絵、上田靖之さんの芸術は生ものなのだ。何らかの芸術の細胞、プランクトンのように蠢いている。それは定着しても雰囲気が変わればタイトルも変わる。そう言う見る世界の中に、すべては流転し生きいている。その一瞬を捉える写真のようであり、その写真ですら過去、現在、未来を動き、それを上田靖之さんの意識も網膜が捉えれば作品になる。
決して完成はない。しかし、生ものであるがゆえに、霊妙なものであると言う。
風景画が2点出品されていた。
深い、湖、夕暮れ、街の中
こう言ういつもみるものに、一瞬の美を醸造できるのは画家しかいないと言う。一点の風景画に黒で線が引かれている。これは意識の線だと言う。風景は変わる。これもまた流転と時空の流れ、現在から未来、過去から現在、現在から過去、さまざまな時空帯を一つのキャンバスに記録する。絵はなぜか破綻しない。上田さんが言うには調和があるのだと、他の鑑賞者もバランスがあると言っていた。
一つの仕事を一回きりと見ないでその複合体から成長の可能性もある。一つの失敗で悲しんではいけないし、一つの成功で喜んで自惚れるのでもない。
上田靖之さんの絵は、いわゆる時空帯に生命を注ぎ込む、そこでさまざまな芸術の可能性だと言う。それは普段の生活でもそうだ。時空は絶えずあり、そこを俯瞰するには本来の人間意識を開眼しなくてはならない。
上田靖之さんは忙しいそうだ。でも、自由であると言う。15歳で家を出て自活して、世界を回る。世界中の美術館や博物館、遺跡、聖所、イスラームの聖殿を見たり、さまざまなアートを見てきた。それは当時では最高の芸術体験である。もちろん芸術の認識力も高いものを学んできた。
今は、情報はインターネットですぐ絵とか美術品に巡り合うが、そんなものがない時代から上田さんはグローバルなアート見聞を知っていたのだ。
上田靖之さんは芸術のインテリでもあり、自由人である。
自由人についても言っていた。人間はみんな一人一人が主役であって、自分を大切にしなくてはならないと言う。そして、自分が最高の主役であるなら、作品を描きなら発信しなくてはならない。もちろん受けることも大事である。それは世界を巡っていろんな体験や学びもするし、仕事もする。
でも、発信して開放的になることで元気になっていくと言うことが大事であり、上田さんの健康方法、または芸術の向き合い方なのだと言う。
風景画の描き方も独特でオリジナルの見方と方法で作品を描く中に上田さんの芸術のあり方が見えてきます。
特に今回の目玉である大作にまで、その方法で抽象画が描かれていきます。人の顔とか花とか骸骨とか、そう言うものは制作中においても今、発表されている形でも完成はしない。完成したら終わってしまうからです。絵は描き継ぎされるもので、生ものであることの証明であります。
完成させない。その中に生きていることの、作品が生物のようなそんな現象を見出せると教えてもらいました。
どんなものでも生きいる。絵画作品は生ものであると言うことを!
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