ギャラリーK アートアニマル展 宮口健仁さんの作品を見て
ギャラリーK
アートアニマル展 宮口健仁さんの作品を見て
細部に及ぶ線の文様は、縄文人の体に刻まれた入れ墨のように、動物や神獣に象徴的に、魔術的に描かれている。
何かの神官かのように見える獣、または神なる動物、妖怪?そういう奇跡をもたらす絵に描かれた動物、そして、この今の時のコロナを癒さんと、または、病気の退散を祈ってアマビエを描く、今回の宮口さんの作品はサンボリズムにでもなったのか?
シンボル的なもので全て覆われていて、これは絵なのか。または絵なのであろうが、神の御姿を描いて、その作品の一作一作が宗教的な可能性を内包し、それ自体が何らかの御神体とも言える平面作品である。
これは美術作品か?
これは、象徴的であって、神を写しこんでいるのかもしれない。美術作品と定義してもいいし、宗教的な神官が描かせた宗教美術またはそのまま御神図を降ろしたかのようだ。
この像に刻まれし文様、アマビエに装飾されたステンドグラスのような色分けに、その一つ一つの文様、または入れ墨には古代の美意識も感じられる。
そういう意味で、この絵は古代の宗教精神が蘇ったことを図で証明しているかのようだ。
他の、犬とか鳥は水彩画で丁寧に描かれている。または手慣れた筆先のテクニックは勢いも感じられます。熟練の技のようであり、またそこばくの衝撃もある。
水彩は衝撃的な表現にあまり向かないが、そこを質の高いレベルにまで押し上げるのはなかなか難しいのではないだろうか?少なくとも筆者には描けないだろう。でも、この作品じっくり見ると描けるのでないかという予感も感じるから、お手本のような水彩の先生なのだろう。
魔術的な絵を描いた理由はおそらく、このコロナの禍を諌めるための慰霊も込めてそういう境地を発見したのではないかと思うのだ。そこに祈りとか祈願とかそういうものがあったのではと思います。
サイにしてもそうだし、入れ墨が入ってそれが神に捧げるための生贄のようにもなるのか?それともサイという動物自体が神の獣なのであろうか。そのようないかめしいものを感ずる。周りの風景は穏便に穏やかである。のんきにすら感じる。宮口さんの心は穏やかであったのか。もしくは絵は穏やかでも、作家自身は必死なのか。それとも余裕があったのであろうかは定かではないが、何らかの精神状態が影響している。
一見、私がこの先品群を見るとインドの美術に近い何かを感じた。像にしてもそうだし、インドをイメージさせる感じだ。よく見るとインドの文化の系統を繋がるかもしれない。
ギュスターヴ・モローにも多少近いものもあるし、そのような構図の絵も似ていることは似ている。どこかでモローを知っている可能性も高い、そこからインド的な美学を吸収していることもあろう。
どうあってもこういうコロナとか戦争とかそういうカタストロフに合うとどこか人ならざるものへ頼るのが人間の性かもしれな。現実が厳しいと精神的な世界に道を求めたり、何らかの哲学であったり宗教を信じる何かがあるのだろう。
そういう意味でのアマビエであり、神の動物であったのかもしれない。そして、宮口健仁さんは美術作品で救いたかったのであろう。神の図を描き、それを鑑賞する人たちを救うための、急いで表現し描いたのであろうと僕は思い、想像しました。
こういうわけでありますので、今の時期、宮口健仁さんのような美術の傾向もあることをいろんな展示会で見受けられます。今を描いているといえば今を描いているかもしれません。
今後、本当に、美術公募展などで、アマビエブームが来たりするのかもと予想してしまう。予想は予想で、コロナがおさまればいいのですが、おさまりきらないと美術公募展でアマビエの出品もあるかもしれないと思う今日この頃です。
2020年6月
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