本多裕樹による作画・アルテマウェポン ギャラリーK アートアニマル展 出品作

本多裕樹による作画・アルテマウェポン

ギャラリーK   アートアニマル展 出品作



この鮮烈な赤い火を吐く獣は、ファイナルファンタジー6に出てくるボスキャラを描いたものです。実際の図とは違って、僕流で描いた獣です。

この絵の見所は上から見たり、下から眺めたりなど様々な視点から鑑賞を楽しめます。

僕はこの作品に力をパワーを込め、狂気の状態で描きました。精査作の時にはもう、自分が描いたものでないかのように無心であった。しかし、絵筆には力を入れずに流れるようになんかできてしまった。

そういうと鑑賞者もがっかりするかもしれない。そんな無作為に描いたのかと!

だいたい絵画作品を描き時はなにも考えていないかもしれない。ただ、心はどこかにおいてきて、体が絵筆が勝手に動くのです。

しかし、描く前にもう作品はできているのです。一週間くらい構想というかイメージを作って、それも下絵もしません。想像の世界でそういう図と、この絵のイメージをするのです。ああでもないこうでもないと脳内でエスキースします。

それで本番の時、このアルテマウェポンを描くのです。この絵の見所は目がいっぱいあることと、鑑賞者に衝撃を与えるように、余白を作ったり、なんかすごいことになりそうだなという演出がところどころに散りばめてあります。



この獣は月に向かって火を吐いています。その周りには火の粉が舞っている。この絵は「動き」をあわわしています。

もう一幅は「静かさ」を描いています。アルテマウェポンが草を見て心休めているそんな図です。

この二点とも掛け軸です。縦に長方形で長居でのすが、この絵は縦で演出していこうというそんな枠で何か絵を物語を描いていきます。



先述した通り、ほとんど自動書記で描かれた絵ですが、構想の方が先にできていて、それをイメージを写し出しているだけに過ぎないのですが、絵筆を持つと絵筆が思考を始めます。それに乗って流れに乗ってしまえばすぐにできます。

まがまがしさを描くため、そんな心境になって掛け軸に向かって、そして少し逍遥な気分になって、風雅な気分になりつつ、茶を飲みながら描いていきます。

画材は和紙にアクリル絵の具です。

ファイナルファンタジー6のアルテマウェポンとは見てくれが違っていますが、僕流で描いています。いわゆる二次創作ではありますが、なるべく僕の色を出すために原作を無視して、僕なりのアルテマウェポンを描きます。そこがポイントかもしれない。



実際、この獣は性的なエネルギーがあるだろうと思います。僕はもうあまり性的な欲望に飽きている分、絵筆で性的な可能性を塗り込んで快感になっていることもあります。性的なものであるかもしれないということを告白します。

「動き」と「静けさ」この二点の掛け軸はその対比をもって表現して自分の夢の世界を具現化したものと言えます。

これを見て不快な気分にもなる人もいるでしょう。そのようなイメージ設計もされています。なんだか気分がわるくなるくらい何か狂気を塗りこめたのですが、おそらく気付く方はそうとうに感性の鋭い方なのだろうかと思います。

まあ、部屋に飾って楽しむ類のものではないと思っています。例えばどういう時にこの絵は効果があるかというと、どういう仕様で使うか?
茶の湯の席で、この掛け軸を飾るとなんらかの威圧にはなるのではないだろうか?なんらかの駆け引きの時に厳しいこの絵を掛けることによって茶席の客はおどろくのではないかと想定しています。

けっこうな掛け軸ですねでは、なかなかおさまりきらないでしょう。名画か名画かでないかというとそのどちらでもなく、茶の湯の席で使うのが一番いい使い方ではないかと思っています。

この絵も見ていると気分が良くなることもなく、かえって不快に思うし、狂気を感じることでしょう。または。精神が少しおかしくなって心の琴線に触れることもあろうと思います。そういう掛け軸だと自負してます。

リビングに飾って楽しむものではないことは言えます。まあ、そんなわけでこの絵を買う人はどこか心に触れる何かがあるのでしょう。そう思います。



2020年6月ほんだゆうきしるす

コメント

  1. ヴェネチアで僕たちに合流した現代アーティストの村上隆さんは語ります。

    「現代アートというのは、”歴史の解釈”でもあるんです。
     この世界はいったいどうなってるのか? どの民族の、どんな事件が果たして後世に意味を持つのか?

     アーティストの作品は、現代のいろんな”マイノリティ”を取り上げ、これが後世から見たら『たしかに歴史の変革だった』と評価されるわけです。」

     あいかわらず、村上さんの話は難しいです。僕なりにはしょって説明してみます。

     なぜアートは偉いのか?
     この質問に対するもっとも単純で正直な答は「生き残ったから」です。数百年・数千年という風雪や動乱、文明の興亡に対して「生き延びたこと」が、実はアートの最高勲章です。

     では、なぜ「生き延びる」のか?
    「この作品は価値があるから、保管すべきだ」と人々が考え、ちゃんとした保管場所に収めたからです。

     その作品が生まれた時代に「残すべきだ」と思われた作品はいくらでもあります。
     しかし、100年もすると「あれ?別にこの作品、要らないんじゃない?」ということになる。
     200年もすると、「単なる下手くそな落書きだなぁ」と捨てられてしまうかも知れない。

    「生き延びる」作品とは、時代や価値観が変わっても、保管者たち(権力者の近くにいる人たち)から「この作品はまだ保管する価値がある」と思われている&これからも思われ続ける作品なのです。

     では、どんな作品が「保管する価値がある」のでしょうか?
     上手い作品? そんなの山のようにあります。
     感動させる作品? 時代が変わると、人はもう感動してくれません。昭和の歌謡曲に目を潤ませるのはオジサンばかりです。感動とは、同時代を生きている人同士でしか、なかなか共有できません。

    「本当に感動できるもの。それがアートだ」
     こんな言説は耳には快いですが、アート業界では通用しません。
    「美しい」「感動できる」だけでは、決定的に足りないのです。

     生き残るための唯一の方法、それは「歴史に関係する」です。
     オタクは、数百年後の歴史家から見ても「面白い」現象だ、と村上さんは読んでいます。

     世界史の中で日本や日本人は、いつも「不思議な人たち」と捉えられていました。
     江戸時代のサムライやニンジャ、昭和の超ファシスト。なんとも危なく、しかし不思議な独自文化をもった民族です。

     この日本が「世界の歴史」に残るとき、どのように記述されるのか?
     自身がアニメファンだった村上さんは、「オタクとして日本人は世界史に残る」と考えました。

    「日本のアニメやマンガ表現は、平面的な二次元の絵で世界をエロチックに描いている。それは三次元にすると矛盾だらけかもしれないけど、ひとつの宇宙を作っている。

     この”二次元表現”こそ、浮世絵の昔から日本人の世界を作ってきた表現法だ。
     ダ・ヴィンチなどが絵画に二次元空間を持ち込んだが、日本人はあえて三次元を捨てて二次元を選んだ。」

    (これは僕の勝手な「スーパーフラット論」の飜訳です)

     そしてフィギュアとは、「マンガやアニメという二次元」を無理やりに三次元化したものであり、そこに「アートとしての新しさ」がある。

     数百年・数千年先の未来、20世紀から21世紀の歴史はどのように記述されるかわかりません。でもアートの歴史では、「この時代の日本は、オタク文化で世界を揺るがした」とされるでしょう。

     そんな村上さんの歴史観・アート観が評価・支持されているからこそ、彼の作品には数億円という値が付くのです。

    ・・・とこんな話をされても、僕や海洋堂の社長はポカーンとしていました。

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