ギャラリーK 「美の起源」展 やまもとかずひさ氏の絵を見て
ギャラリーK「美の起源展」
やまもとかずひさ氏の絵を見ての感想
絵には雰囲気というものがあって、その空間をただよわせるエネルギーがある。それは やまもとかずひさ氏の絵に顕著に出ている。
やまもとかずひさ氏の絵は見てきてはいますが、とても格調高いのがポイントです。
これはどういう作品か?何を表しているか?そういうことを考えもしないで雰囲気に酔うことが可能なそんな絵もあるのだ。そう、雰囲気、それで画廊内をただよわせ支配するそのような力?力でもなく、夢の世界、そうとも言えるし、やっぱりこの絵の群像は空間美術であるとも言えるのではないかと思います。
正方形の画面に描かれる岩絵具の日本画、なんだか仏様の世界のようなそんな癒しの絵であります。
しかし、やまもとかずひさ氏はそういう宗教に参入しているわけでないと言っていた。
日本画の伝統、日本画の技術の伝統的な生命として仏教精神の原風景もあるのだと思う。そう、僕はとらえた。
これらの絵は何を表しているか?やまもと氏のいうところ泉を表現しているようだ。まるでこの絵は極楽浄土の世界を表している。そんな雰囲気、音楽で言うところのBGM的な癒しのエリアである。
やまもとかずひさ氏の作品の周辺は空気がどうも違う、一点一点は小品でありますが、万華鏡のようにいろんな水、泉の現象が現れている。一点一点違う絵であり、泉を表現している。清らかな気分にさせてくれる。
これが日本画の魅力なのであろうか。静寂の中、浄土の世界を堪能できる。
やまもとかずひさ氏は宗教家ではない。前述したように日本画の伝統の中に仏教があり、その精神が今も生きているのだ。そう言う意味で仏教を学ばなくても日本画の道において観想念仏が生きているのだ。
いい気分になる絵。そんな絵もあってもいいのではないだろうか。いい気分にさせてくれる。そんな絵もあってもいいのではないか。
清らなか気持ちをもたらしてくれるそんな癒しのBGM的な絵もまたありなのではないだろうか。
思想を押し出す絵もあってもいいし、実際そういうドロドロした社会問題を扱った美術もある。そう言うのを知っている。
やまもとかずひさ氏の絵にはそのような政治とか社会とか幸福不幸とか人間の苦しむ姿を描かない。
むしろ、砂漠にオアシスがあってそこにちょっとした緑陰がある。木漏れ日がある。そういう雰囲気をかもしだす美だと思います。本当に美に向き合って、しかもあまり過激な思考をしない。雰囲気で鑑賞者をなごまし癒す。医者的な絵であって、鎮静剤、安らかに椅子に座り眺めるようなそんな絵なのだ。
そして、日本人の原風景、今回は「美の起源展」と言うことで人間の故郷を、それは日本の宗教的な素地である仏教における救いになりうる浄土を描いていたのだった。この絵に吸い込まれた瞬間に鑑賞者は癒しを体験するだろう。
やまもとかずひさ氏と話していて特に仏教徒ではなく、日本画の道において仏教がありますので、この絵に現れている泉は美であると同時に浄土を見ているのだ。
僕は何が言いたいかと言うと芸術そのものが宗教のような道を求めるものであり、行き着くところは神や仏の、究極の境地を行くこともあるのだ。それで鑑賞者はいろんな意味で救われていくし、やまもとかずひさ氏の絵を見て「美の起源」を見るのだと思います。
そう言う根源的な心の起源の、美の起源を探り当てて、このような世界を見ているのであるのだなと思います。
やまもとかずひさ氏はマレーヴィッチとか西洋の絵の研究をしていて雰囲気を醸し出す方法をいろいろと模索して考えていらっしゃる。クロード・モネとかそう言うのを一歩進めて今回の絵の表現になったと思います。
もちろん、クロード・モネの方が有名だからモネの方がいいだろと言う方もいるかもしれませんが、やまもとかずひさ氏は様々な情報を作品に美だけを抽出して正方形の和紙に岩絵の具でしたためる。そして、大事なのはBGMであり、心に入っていくように、精神に入り込ませて、美を感じさせていくようでありました。
特に仏教徒でもなければ宗教者でもない。
日本画の伝統
西洋美術の系譜につながり日本画のモネとなっている現実もあるのだ。それよりもモネより一歩進めて精神的に浄土を見せていくその雰囲気、BGM的な音楽のこの絵たちは高く、高尚な気持ちにさせてくれもするのだ。
格調の高い名画たちではないかと僕は思いました。
今後もさまざまな芸術をやまもとかずひさ氏は作っていくでしょう。今回、ギャラリーKで「美の起源」展は開催されています。一度は見て心に観想念仏にも似た、美しい調べ、格調高き、その絵を見てみるのをオススメします。
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