ギャラリーK 美の起源展 河口聖さんの作品を見て
河口聖 「Recollection」
美の起源展 出品作
さて、美の起源展の批評になります。批評する意味はある作品の本当の価値を表すというか、自分の中にある作品の存在が投影する何かを探す旅でもあります。
なんというか自分に現れた作品に対する感想とも言えるし、美学、美術に対して向き合っていることを文章として思考している。
美術作品が僕に考えろと言うのだ。それは創作者から出された問題を本多君が考え抜いて人生の糧にしてくださいと言う、作家からのメッセージでもなく提示であるのです。
創作者は答えをなかなか教えないし、創作者の思考は作品を通して人生をあなた方で見てみなさいとの教示でもあります。
さて、この河口聖さんの作品を観てみましょう。
一瞬でこれは伝わる。なぜ、なぜなんだろうか。
難問であろうか。それとも調和か、完全構図なのか。
絵そのものは生きているのか、死んでいるのか。そうではない、生も死も無くて、この生きるとか死ぬとかそういうものでもない。
この円、三角、
これを簡単な絵だと馬鹿にする人もいるだろう。
このじわじわとくる美、むしろ学問、そういう普遍性があるがために、この作品を否定してしまうと、自分に美の感覚が無いこと、センスが無いことを自分で証明してしまうのだ。
この幾何学には古来より、信仰の対象であり、学問の基本であり、宗教学においても神秘の高さにあって、これ否定する者は何も知らない事を自らの愚かさを露呈してまうものなのだ。
それほどまでに、円、三角形は神聖幾何学の基本中の基本である。
ある意味、宇宙に通ずる形であり、こう言った幾何学はある神秘思想家に聞くところ、その著書で読むところ、円、三角は宇宙の言語として普遍的で、これを通してあらゆる結晶や宇宙の謎が秘められているし、実際、プラチナや金属、血液の結晶でさえ幾何学を形成されている。
人間の脳の信号もまた幾何学の念波で物事の意思疎通、または宇宙に信号を伝えるものなのである。
この河口聖さんはただ宇宙に信号を描くだけでなく、この絵の材料にフレスコ画として石に絵を描いている。
石に絵を描く、これは古代の思い出も連想させ、なんだか懐かしい気持ちになる。なんらかの原風景がある。
そこを感じる者もいようし、つまらない石だと思う人もいるだろう。
なんのこともない石に描いた絵の具じゃないかという人もいよう。
ある人は絵と言うものは画布に絵の具の塊でしか過ぎないと言う人もいる。
かわいそうにそうのは本当に美がわからないのだ。僕は何を言いたいかと言うと美が、わかる人は実は精神的に目が開いていて、わかるのだよ。その美が。美が分からずして学問はわからない。
美術を本当に知るにはある程度の知的なものが必要だし、その絵の暗号を読み取るだけの思考もやはり必要である。
僕はこの美の起源展でわかったことは美というものがあなた方にわかるかなという作家たちの問いかけのように感じた。
わかる人にはわかる。わからぬ人にはわからぬ。ただ写実であればいいとか、写実じゃないと絵じゃないとか。そういう人に是非に見ることをお勧めします。僕は実際、カルチャーショックを少し受けてしまったからです。
これからのビジネスをやっている人はこういう美術を嗜むことも意外にも大事でないかと思う。
河口聖さんの作品にもどってみよう。作品を生でみて、やはり迫力があった。銀を使っている。日本画のような宝石系の顔料を使っていることに何か地球の鉱物の威力を感じるものがあるのだ。
あと、フレスコの石の絵肌の、マチエールがそれ自体に威力があった。まるで鋼鉄の壁のようなたくましさを感じた。
そして、懐かしさ、石の内包している石そのものの波動であろうか、石の記憶だろうか。そういうものを感じた。
石は記憶を持っている。石は神様になることもある。石にしめ縄をつけることもあるのだ。石には神を祀るためのマターでもあるからだ。
今でもイスラームの聖地では黒い正方形の立方体が崇められているのだ。石には霊的な宗教的な力が人類の起源にDNAに記録されている。
河口さんは実際、材料を仕入れるために海外に行ったり、山岳に、荒野に行ったり、何か感じるマターを探していき、その土地での砂とか石とか集めている。その土地のエネルギーというか波動を直感で感じ、そして制作のために収集して作品にしていくのだそうだ。
もう、材料を探しにいく旅の時点で制作が始まっているのである。
生でも死でもない。もっと奥にある世界、イデアと言ったりエイドスと言ったり、そういう形而上の世界から引っ張り出して作品を降ろしていく。形而上であり、もっと言えば宇宙の何かをキャッチしてそれを制作する。
そういうことでないかと僕は思っています。まだまだ、河口聖さんの宇宙的な絵画に完全に理解したわけではありませんが、それだけ奥深く、生々しい思考が必要に思います。僕もこれからの制作においてかなりヒントになることを感じました。
今回の美の起源展の鑑賞で、何か自分の制作に風穴をあけることができればさらなる進歩につながるのではないかと思います。
ありがとうございます。
河口聖さんの作品は月がえがかれているともいました。心温まる素晴らしいえです。たしかに円や四角で構成された絵ですが色使いがいいです。私の意見ですが月に長方形なものがありますが、あれは塔なのでしょう。灯台かもしれませんが。でもすこし傾いてますよね。ピサの斜塔をイメージしているのかもしれない。そうじゃないかもしれないけど。でももしそうならピサの斜塔を作った建築芸術家はこういう人で、意図して傾けた、もしくは傾いた。でもなぜ傾いたのか、地震か?一枚の絵でここまで考えることができるのは河口聖さんの作品は素晴らしいです。
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