ギャラリーK アートアニマル展 山崎智嗣さんの絵を見て
ギャラリーK
アートアニマル展 山崎智嗣さんの絵を見て
この展示会場にあって、一つの壁に怪奇な作品群があった。一目見て怖いと思った。そんな背中が冷えるような絵がある。それは詩を添えられて絵というか魔法書におけるようなそんな絵、図が描かれている。
怖い、それも美術である。感情を揺さぶられるそんな絵画もある。そういう絵を描く人がいる。
山崎智嗣さんの絵である。これは明るみに出していいものか。この美術作品はポエムと絵画の棺のようなものであり、こっそり開けてその言葉や絵を楽しむものだ。楽しむというよりこっそり怖いもの見たさで鑑賞するものだ。
一つこの絵を見ていこう、犬神が鳴いていてその周りを子犬が踊るその絵はまさに魔法であるし、西洋世界におけるサバトを描いているそのような寓意と不気味さ、背筋が凍るようなそんな絵だ。これを見て何も思わないのはかえって幸いかもしれない。しかし、分かる人にはわかるのだ。これが怪奇的な儀式をしていることを!
山崎さんに尋ねた。何か日本のオカルトに影響を受けているかということを、しかし、そんなことはなく、しかし、日本の怪奇漫画家の水木しげるの影響を多分に受けていることをおっしゃっていた。日本の妖怪作家の系統をつないでいる美を表現していた。
その山崎さんの心の中はかなり複雑な美学を持っていることだろう。そいうい怪奇を抱えて人生を生きて、そしてなおかつ表現をしている。
絵柄は漫画の絵である。かつて漫画家を本気で志して、今は美術家をして漫画の絵柄でアートを作り表現している。かなり強いメンタルを持っている。なぜかというと怪奇を思い、それを美にしていくにはそれこそ精神力も肉体の力もあるからだ。
山崎さんの描く怪奇な動物は基本、幻想のイメージで描かれるものでしかも実際にいるようなそんな設定をポエムで文字で表すことによってリアル感を出している。それはあたかも現実にそういう生物、動物、妖怪がいるかのように、フィクションではあるがフィクションに感じさせない、そんなリアリズムを作品にバーチャルリアルとして美術として具現している。
ボイニッチ手稿のような感じもする。
怪奇的で怖い絵を描く、山崎さんであるが、お会いするといたってまともな人でしっかりした人である。作品を作るときに何らかのスイッチが入るのだろうか。
動物が何本もの足があり蛸のように蠢き、その怪奇動物が三体あって足が絡まりあい大変なことになっている。その絵も顔が引きつっていて恐ろしい感情を催す。そこで美について考えてみたい。美は綺麗であればいいのか。
花を描けば誰でも綺麗なものを描ける。花でなくては美でないのか。一般的な美はもはや幻想ではないか。いや、幻想でなくても花は美しい、花の中でも怪奇な花もある。アヘンやケシの花は甘美で怪しいだろう。そういう花もある。花は美しいか、動物は癒し系か?多くの女子がそれを綺麗と言うだろう。
しかし、美は、
特に美術家は美を作らねばならない。まったく新しい価値観を作らねばならないだろう。そう言うのもあるが、日本の美術、西洋の美術の文脈をたどることもあろう。
怪奇とか幻想、ファンタジーにも系譜はあるが、そう言うものに美を感ずることもあろう。そういう人も実はたくさんいて美意識を磨いていくことも山崎さんの絵を見る上で大事になると思う。
不気味だからといってそれを廃することは必要ない。実は人間には深層心理にはそう言う怪奇があるからだ。シュールレアリズムの方法においてもそう言う心の核を引き出したときに実際、怪奇がでてくるのです。
実は怪奇はリアルであることも20世紀には証明されているのですが、それを山崎さんが再現して、心の世界を探訪して描き出しているのです。
心は探索していくとどうしても業とかに出会います。そこに本当の世界が見えてくることもあるのです。真実は表にあるのでなく、実は裏の世界が支えていることもあるのです。そう言うものを隠しているのがあって、それを表現していく中に心揺さぶられるものがあるとも言えます。
ここで山崎さんが心のリアルを描いているからこそ迫真に迫ることもできるし、本物があるように思える。こう言うことが言えるのだと思いました。
2020年6月20日 土曜日
ほんだゆうきしるす
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