アートの見方、それはナゾナゾみたいな

アートの見方、それはナゾナゾみたいな



今日もこうしてはじまりました。私は休日を楽しんでいます。それどころでない人もいることを知ってはいますが、休日は休んで英気を養わなければなりません。

最近、どんな制作をしたかですが、ある公募があってそれに向けて作品つくりをしています。

今日はM20号のアクリル画を貼りキャンバスに描きました。公募に出品するものなので非公開にしておきます。あと、もう一点P20号のアクリル画を描きます。

まあ、そんなこんなで絵を描いています。

僕はまずは画用紙とソフトパステルで下絵というかアイデアの絵を描いていきます。それでいい下絵があったら、それをタブローにしていきます。大体の色の組み合わせなども、ソフトパステルで考えます。それでいいのができれば本番です。

そんな、流れで絵を描きます。

フランスの象徴派に位置付けられている画家でギュスターヴ・モローという人がいますが、その方は美術学校の先生をやっていて生徒に絵の指導をするときには下絵を100枚描いて本番に行きなさいと言っています。それにならって僕もそんな風にやっています。

でも、大体の絵を描く人はそうやって本番の絵を描いているのではないでしょうか。

○私の画家の友人では、下絵にポスターカラーマーカーを使って下絵を作って本番に行く人もいるし、
○他の方で言えばそのまま本番に行く人もいます。
○または、とにかく描いてそれでいいのがあればそれを作品にするそんなピカソ的な制作方法をとっている方もいます。

様々な制作方法があるものです。

話はかわりますけど、食事にはやっぱりお酒ですよね。僕の通っている店ではそこは主に昼に行くんだけど、グリーンカレーにサッポロビールは合うんだよね。なぜか美味しくその時間を味わえる。絵を見るときもその作品に向き合っていると、何か見えてきますね。それはビールと表現してもいいのか、ある意味、イリュージョンに入ってその絵画作品、または美術作品に向き合うことで、映画館で映画を見ている感覚になっていきます。そういう意味でビールでもなんでも入り込むことが大事に思うし、それが美術品の楽しむ方法かもしれません。


作家は鑑賞者にあまり作品の種明かしみたいなことはしないし、している人もいるけど、基本、作品と向き合い、自分で考えることを楽しむ余裕を与えることも大事に思います。作家の制作の意図を話しても、実際、鑑賞者は別の意見をもっているのだし、それを邪魔してはいけないということもあります。

多くのビジネスパーソンでロジックでものを考えて、そうやって仕事をしようとしている方がいると聞きます。ロジック、つまり全てを論理や理論でおきかえてもかえってややこしくなることはあります。

確かに知の体系や論理学は素晴らしいと思います。それで喧嘩になったこともあります。直感とか隠喩的な話をしてわからせることもあるし、基本、人は他人に本当の真実を100%理解することはない現実もあります。その数%で個人が解釈して行動の種になります。

アートはそういう意味では感性や悟性に訴えかけ、理知で持って推理していくゲームのような側面もあるのです。

作家は鑑賞者に全てを明かさないでしょう。それはいろんな画家がいるけど、鑑賞者に判断を任せることも必要であると私も学び得たことなのです。

ある意味、数学の謎解きみたいなところはある。答えは自分なりの向き合った何かがそれが回答です。しかし、その答えはひとそれぞれ違うのです。

人の顔がそれぞれ違うように、人もそれぞれ違うのです。そういうことで芸術に対する思考も違うことはあります。あなた自身で思考して、それで何か得るものがあればいい。


単なる娯楽で楽しむこともできればそれはそれで面白いことです。その中には壮大なコンテポラリーなあるかもしれませんが、美術品の価値を決めるのはどうあっても個人であると思います。個人に美術品の価値を委ねられ、それが駄作であろうと傑作であろうと、その人の価値観によって価値も違うことです。

もっと、美術史的な価値を見出すなら、その西洋の美術史の流れでその文脈で新しい芸術を創造して、その美術史を土台にして作品作りをする人もいます。

ある程度、人類、人間に対する考察が芸術の形を決定することも多少はあります。
哲学なんて難しいものもありますが、その理知を用いて自分自身を探求し、社会を見たりするでしょう。その研究成果をアート作品に創作する種、きっかけになったりもするでしょう。

芸術は面白いもので、奥深いものです。ただ見るだけでも楽しめます。様々な重層された内容も隠されています。それを読み解くのもまた大人のゲームであると言えます。

ゲームはプレイすることで楽しむものです。プレイについてあれこれ答えを与えてしまえば、それではゲームを楽しめないですから、あと、映画のネタバレ行為はあれはいけないと思っています。あらすじ程度であまり情報の少ない方が映画館の中では真剣に楽しめるものです。

大人は答えを与えない。それは子供の成長を見守り、自分で立つことを大事にするためです。結局は自分で答えを出すしかないのです。

皆さんの人生もそうです。答えとか目的とか生まれてすぐ知る必要はないのです。人生のあらゆる失敗の中で自分はどういう人間なのかを自分で発見しなくてはなりません。答えを知るためには、自らそれを知るために様々な経験をして、学問をして世界の秘密を知ればいいのです。

私は何が言いたいかというと、答えは自分で探すしかないのです。誰かに尋ねても誰も人生の秘密も教えてくれない。神様だって答えを与えないのです。それは礼儀です。

ネタバレはいけないと思っている今日この頃です。

でも、回答はあってもそれが真実かどうかは霞の向こうであることがあり、ベールに包まれているでありましょう。


2020年7月

ほんだゆうきしるす

コメント

  1. 下の女性の絵がかわいいですね。素敵です。少ないペンの軌道とタッチでみごとにシンプルな貴婦人が再現されています。やっぱりいい絵を描く人だなぁと思いました。

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