「ゼウスの出現」作画・本多裕樹

 「ゼウスの出現」作画・本多裕樹




この絵は何を描いているのだろうか。おそらく作者でないとわからないであろう。または元気の出る絵だと感じるだろう。


そうであります。この絵は霊的な太陽のような輝きでわれわれを照らしています。この光の可能性は霊的な存在を指しています。

それは「ゼウス神」であります。ギリシアの主祭神であり、最高位にある神を描いてみました。


この絵の発想はまず、キャンバスで考えるのでなくて普段生活している中でこのような図というか光が現れます。それをインスピレーションがキャッチして僕も意識でキャッチします。それでキャンバスにアクリル絵の具で清書してみたという工程でこの制作は行われました。


清書は意外に簡単なものです。そのインスピレーションも突然なのでほぼ奇跡によって描かれた絵であると言えます。


人智では何ともしがたい絵であると思います。


さて、この絵そのものに解説を移していきたいと思います。この絵は赤い光が燦然と光輝き、ゼウスと思わしき赤い太陽は光を放ち知恵のエネルギーを与えてくれます。周りの黄色は法を表す色で様々な知性の形を、または観念の旅路を作っています。

ゼウス神の中心には五芒星が記されており、自由で奔放、開放的であり、どこまでも光を飛ばしていくようなメッセージを与えてくれるでしょう。


光は、赤い光は豪放磊落を意味して、雷霆を持って裁きを行うことでしょう。審判者であり、アートの神であります。それは開放的な光からアートをもって人間を開放しようと表現をしている。


ゼウス神は芸術の神であり、さまざまなギリシアのアートの中心的な神々の一人であります。その顔は厳しく、光輝き、光明を語るであろう。 


開放的であり、存在の光となって大地に雷を落とす。


この赤い星のように光るゼウスの意識体はただ輝き続けるような無尽蔵なエネルギー的な存在であります。五芒星は常に調和してそして動きは車輪のように回り、大地に光を供給しています。



私はこの作品をイメージで見ていると仕事中でもプライベートな時間でもこの図が焼きついていました。これを描きなさいという啓示であったことも言えると思います。

なんか閃いた、そんな感じです。


そんな閃きからこの絵の図が出てきた感じです。そういう意味でインスピレーション型の画家である僕には不思議なことが起きてきます。なので、これも一瞬の美であるかもしれないし、これを描いてから、「ゼウス神」を描きなさいという啓示は降りてきませんでした。




描いてしまえば、あの世の神々も満足したりするのだろうか。





今後もこの霊感で描かれた「ゼウスの出現」を紹介させていただきたいと思います。





みなさまここまで読んでくださり感謝します。


ありがとうございます。

コメント

  1. ゼウスの神を絵にするのはすごいですね。神を描くというは素晴らしいとおもいます。しかし絵のまんなかにユダヤのマークと爆発で神を描いたというのも素晴らしいです。解説ですがちょっと難しい解説ですが「そうだったのか、そういう意味があったのか!」とおどろかされます。仕事でもプレイベートでもこの絵の構想がうかんだのも素晴らしいです。つねに絵のことを考えているのですね。夢を追い続けるすがたは素敵です。これは神が描いた絵なのですね。素晴らしい体験をしましたね。これからも本多君を応援していきたいとおもっています。また素敵な絵が見たいです。

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