「首藤教之展 感想」

 「首藤教之展 感想」





道に迷い、白楽駅周辺をさまよっていた。なかなかギャラリーが見つからない。昼ごはんも食べたいと思い焼肉屋さんの暖簾をくぐったがランチはやっていないらしくて、店で食事できるのは夜だけであった。


それで、とにかく探した。そしてギャラリーがあった。女将さんがいろいろ案内してくれて二階に行った。そこは首藤さんの作品でいっぱいだった。小さなスペースで三畳一間もしくは四畳半の空間に首藤ワールドは開けていたのだった。


雑貨なのか?そんなことを思った。材料はあまり高価なものは使っていない。でも、何かそこに親近感を覚える。ちょっと作品に触ってみると感触がよかった。温かみのあるそんなマチエールであり、その描かれた図、または絵は何て行ったらいいのか占いに使えそうなそんな原始的でアニミズムな感覚が僕の脳内に滲んでくる。そこがポイントなのだと思う。手触りの暖かさ、そして図においては魔法を、それも可愛いおもちゃのような距離感の近さがあった。





ある意味、神秘的ではあった。そこに強い魅力を感じたのだ。


星を描き、昔の憧憬を切なく描いた船の図、




首藤さんはエジプトの絵画とか、メキシコの古代の絵とかそう言う精神を持っているのだろうか、老人になってもピュアな感覚と心を維持しているのは素晴らしいことだと思う。


汚れないって言うのは大事だ!戦争も経験していて中学生の時に戦争は終わってくれた。それがショックでトラウマを心に刻まれたのであろうか。切なさがどことなく漂っている。


今、首藤さんは幸福なのか?老境いたり何か得る答えでもあったのか。この玩具美術において何か傷は消えないのだろうか。





そんな感傷の中、星を見ている。


星に思いを馳せている。星を愛しているのだろか。どうしよもない現実においてただ、希望と平和を夢見ている。


そうだ、現実はとても厳しい。





首藤さんはそれでも笑顔を絶やさない。そこが素晴らしいところだと思った。


作品にはどこも愚痴がなかった。感情をぶちまけて破壊行為をすることもなく、そう言うところも見つからない。


社会を冷静に見つつ、中庸な精神で世界と向き合う。

しかし、首藤さんは星に帰りたいのでないか?


全ての作品に、夢があり、優しい、そして穏やかな調律をしていて、それを維持して、制作している様子がうかがわれた。


そうだ。この魚が泳ぐオブジェを、見ているのだろう、こう言う現実にはないちょっと違った波長の世界を。





穏やか、


そして、平安


感情の傷と、それを負いながら原始の世界に身を馳せる。僕は首藤さんの作品を見て、争いだけの世界ではなく、こう言う穏やかで平和的な世界を鑑賞して一時期でもおだやかな気持ちになることも大事だと思った。


僕は、作品を一点購入した。それは、星の曼荼羅のようにこれを見て一瞬でも現実の厳しさを忘れる必要があったからだ。


星は僕も憧れがある。


しかし、首藤さんの星はもっと深い平和な世界だ。



そんな戦争を味わってこんな心壊すことなく、おだやかで中庸の徳で生きている首藤さんは素晴らしいと思いました。


どうでしょう、この世界はまるで闘争のように見える世界ではありますが、このように穏やかなおじいちゃんもいて、それも芸術活動歴な何十年も生涯のほとんどを捧げてこのように個展を開き、平和を届けようと作品発表を続けている人がいたのだ。


この個展でそれは見ることができました。





まだ、会期はあるようであと一週間の時がありますので、縁がありましたら、見れると思います。


魚が泳ぐ、幸せに、おだやかに、何か争うわけでもなく。


家が並ぶ、そこには生活がある。それぞれの人が家庭の幸福を体験し、生きて星を見て切なさを涙している


船、はどこに行くのか、それは希望の世界であると信じたい


さて、あなたはどこに行く


星を見ているのさ、そこは僕のふるさと、早く帰りたいと言う思いはどうしてもあるのさ。でも、まず。僕の平和への願いを届け、この星に何らかの光を投げかけたい。




2020年9月

ほんだゆうきしるす




コメント

  1. 帰山一総です。

    首藤さんの作品はかわいい作品が多いですね。

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