「ひまわりと少年」作画・knob

 「ひまわりと少年」作画・knob





数年前、あれは5年くらい前だったか、名画を購入したのだ。それは無名画家knobの絵画作品である。憂鬱で不気味な美を初めて見たその絵は、その制作過程をknobはSNSで発表していて、筆者はその制作にかなり強烈なものを感じたのだ。


Knobとは今、友人でも知り合いでもない。ただ、作家さんであり僕のような客は相手にしないのだ。それでもいいのだが、作品さえ良ければそれでいいのだ。


そして、僕はこれを購入したのだ。


その不気味な明るさ、太陽の下で暑くてしょうがない灼熱のヒマワリ畑にたたずむ少年は?もしくは少女?子供は何かを見たのであろう衝撃的な悲劇の現場をそれゆえに呆然としてあるものを観察しているのだ。これは作者の投影であり、画家は見るものは果てしなく茫漠で遠くを見つめるこの目は、黒い手の出てくるのを知らない。右にある黒い手は死の世界への導きであろうか。それは死を望んでいるのか。そんな絵を描くのに何か意味がある気もするのだ。


Knobは何かを見ている。普段は工場で労働をしてそのきつい労働に耐えながら美術家になるという夢見ている。いつかはと思いつつも、その黒い手は彼には見えるのだろう。


いつも死と隣り合わせな現実、不安、焦燥。そんな気持ちが、ヒマワリという夏に燦然と咲き輝く花に同化しながら、一瞬の美に死を織り交ぜる。





美には死がいつも隣り合わせであり、美はけっして平安でもなく、もっとも美しい時代であろう子供にそのような黒い手がやってくる。神隠しであろうか、黄泉の世界に導き入れ、食べようとしている様子が想像できる。


いたって不気味、しかし、そこに美がある。


誰かが言っていたが、「美には死が伴うことで最高の一瞬になる。」


これは写真にも言えるかもしれない。ホームレスの写真や、死に際の写真、これは不快なものであろうが、それは美なのだ。美は恐ろしいものなのだ。美は一瞬に輝く闇であろう。


この絵は水彩画である。よく見ると高い技術で描かれている。その細部にまで手が込んでいて手を抜いていない。この画家knobは仕事は手を抜かないことがこの絵みてよくわかる。細部までデイテイールはそれは美としか言いようがない。


細部に神宿るというがそれを言い得ている作品と思う。





私はそれを購入し、それ以後、手紙を書き応援したが、それがいけなかったのか、そっとしておいてくれ、お前のことはどうでもいい、お前はただの客でしかない。絵を買わないのならば何も連絡よこさず、友人にもなるな!という態度で連絡を閉ざされた。


いたってロックンロール。歌い手のような激しい感情、薬をやって歌うようなそんな対応であった。それがknobにとってのアーティストとしての実社会でのポーズであったのだ。現実のアーティストとしての態度はまさにロックであった。


それ以後、僕は連絡もせず、ただの客、いや客にすらしてくれないようなコミュニケーション全てをシャットダウンされた。


それも、またロックで、または売れないバンドマンらしくて面白いと思います。




実は、この絵はもう、未練がないみたいで、僕が買ったことで領収もされ、これは捨てないで僕のアート株として所持していくつもりです。好きで購入したので、あとは、僕自身でこの絵をいろんなところで使って広めようと思っています。


いつかは、この絵が何十倍もの値段になってセカンダリーマーケットに出品して買い手がつくと面白いと思います。


この絵は14万円で買いました。


その倍はいくとして高値で売れることを密かに夢見ています。


あと、knobというアーティストはとても向上心の強い画家ですので今、安く売られているようなので購入の価値はあるかもしれません。ほとんど投機でありますが、株としては運良ければ何倍にもなるし、活動をやめてしまったりしたら、ガタ落ちかもしれません。


私は、今でも密かに応援しています。


いつか大物になってもらいたいと思います。







2020年9月


ほんだゆうきしるす

コメント

  1. 帰山一総です。絵の感想です。

    knobさんの最初の絵は少年がすこしさみしそうに描かれていますね、その横には黒い邪悪なる大きな手がある。そいうくらい絵なのかなとおもったらひまわりが綺麗にいがかれていて景色はすごく綺麗なんですよね。風景は綺麗なのに人物がすこし影があるという不思議な絵だと思いました。

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