「アート株」
「アート株」
アートだけで生きるのはよろしくないのか?アートだけで生きている人は少ないであろうしアートは基本的には趣味に属する部類である。しかし、なんと言うか絵画だけで生きている人もいるし、そう言う人は少数のプロの画家であることが言えよう。
有閑階級の人が絵を描いている事実もある。旦那さんが労働して奥さんがアートをやって自己実現をしていることもある。暇な人が時間を持て余して絵画をしたりしている。
あるいは、働きもしないでアートという博打に挑戦する人もいる。
今、どのようにしてアートを続けていけばいいか。趣味であるアートが趣味でなく生活の資になりうるかであるが、やっぱり複業であればいいと思いますし、そう言う人がほとんどである。
画家は生活できないのは今も昔も変わらない。絵を買うことはあるかもしれないが、絵を買うのは贅沢な買い物であり、ちょっとした投資になるし、または投機の場合だってある。アート株として所持している人もいるし、ちょっとした資産でもある。
アートに価値があるか?観る人によってだいぶ違ってくるだろうし、個人的なものであろう。その美術品を所持することで自分のセンスを磨くことも可能である。勉強という意味もあろうし、権威を示すものにもなりえよう。
誰もがわかる絵というのは風景画とか静物画かもしれない、そこからちょっとハイセンスに行くと抽象画があるかもしれません。美を磨くのは大事であるし、そういった名画に出会うことも美の鑑賞修練が必要なのであります。
描く方も訓練しているが、鑑賞者も趣味としても修練が必要なのであります。
音楽もそうだし
絵画もそう
酒もそうであるし
食事もそう
美を知るためにはいいものに出会い体験して美のソムリエになっていくことで美というものがわかってくる。ある意味において鑑賞者は鑑定士なみの技量を身につけることも大事である。そして批評できるようになれれば達人になれるだろう。
どうあっても、アートはアートであるためには鑑賞者や展覧会にくるサポーターは大事なのだ。あなたのアートが理解されるかされないかはこの多くの人たちを相手に美を提示し問いかけていくのであります。理解されようがされなかろうが美を提示して問いを与えればいい。完全にあなたの作品が理解されるかどうかはわからないが、中にはわかってくれる人もいようしいないかもしれません。
それは本気の絵であればあるほどそうなります。
アートの投資をしている人はそこはめざとく見極めるでしょう。将来的にどうなるか?可能性があるかないか?それを展示してみて何か得るものがあるならそれは意味のあるものになっていくでしょう。
アートをやる人の経済状況は様々ですが、鑑賞者はやっぱり本気の美術品を求めているものであります。
その本気の美術品を見ると様々なインスピレーションがやってきますので詩人が部屋に絵を飾るのには意味のあるものであり、アート株の意味も持つのは言うまでもないということです。
ここまで読んでくださり感謝します。
ありがとうございます
帰山一総です。働きながら絵を描いている本多裕樹さんはすばらしいです。
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