「元気があればなんでもできる」
「元気があればなんでもできる」
怠け者になっている。休日はほとんど怠け者です。あまり頑張りたくない。近場のカフェに行くしか元気がない。
仕事を一生懸命にやっていて休日はほとんど疲れている。義理ごともあるのだが、それをするのも面倒であります。まあ、特に偉大なことをしていません。
燃焼すればいいのか?それしている。
休日は放心していればいい。
仕事の時は戦場である。戦場では戦いに戦いやり遂げなくてはならない。
僕はなぜこんなに弱くなってしまったのか?年齢のせいもあろう。いつまでも10代20代ではないのであって、年相応な生き方もやはりあるのである。それを知るだけでも大したものだと思ってもいい。
この文章はいつまでも若い人のように活動できないということを提示しています。
年相応な生き方がこれから大事になっていく。中年には中年の生き方がやはりあると言えましょう。
いつまでも元気いっぱいの人もいるでしょうね。それはそれで尊敬に値する。50代になっても10代のような活動する人もいるのだ。何か食べ物が違うのであろうか。
僕も毎日、「マカ皇帝倫」という漢方薬を飲んでスタミナをつけています。それで健康維持しているところがあります。
私はかつて芸術家であった。それで活動をしていたのであった。とても若い時にいくらか自分なりの名画というもの傑作を描いてきた。それは自分にとっていい思い出になっている。とてもありがたい経験になった。そして、自信にもなった。
ただ、いつまでも画家でいることはできないことを最近知っている。
仕事、これが私の最大の情熱をかけるべく課題である。これに精進して定年まで働ききりこれも今世の思い出にしていきたいですね。それくらいが僕の力量での限界であるからです。
若さや時間が必要なのだと思ったこともあるが、生きるべき時には生き、死ぬべき時には死ぬ、それでいいのだ。長く生きてもいいし、早死にしても後悔しない。
運命の輪の中で生成発展もあろうし、やるべきことはもうやってしまった。それをすると後は余生なのだ。
僕は今、余生を生きている。
太宰治が死んだ年齢になった今、芸事に関してはひとまず隠退してもいいのではと思っているし、芸術に関して限界を感じている。まあ、それでもアート制作はするのだろうけどね。
芸術家を辞めたいがそれは自分で決めればいい。今やるべきことをしっかりやればいい。
アートという化け物に立ち向かっていた私であるが、その化け物に乗っていた時もあった。才能が飛翔し、天を駆けていた。
だが、それはいつまでもその状態ではいられないであろう。その時は、天が僕に味方していた。天空の美を降ろし芸術を作っていたのだった。
元気があればなんでもできます。
まして、若いみなさまはそのスタミナがあればなんでも可能でありましょう。時間はちゃんと価値にしていきたいものです。
僕も、今後の人生においてなにか価値を作っていきたいと思います。
頑張りたいと思います。
それは芸術関係のことかもしれないし、
本業の仕事のことかもしれません。
僕は死ぬその日まで頑張っていきます。
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