「 墨象を日本画という文脈で」

「 墨象を日本画という文脈で」




墨象というかそういうのは展覧会には避けられることがありますが、これは日本画としての文脈でいけばセーフではないかと思った。そういう方向で作品制作してもいいかも。


僕は、かつて昔、絵画というか油絵をやったり水彩をやったり時にはフレスコ画をやったり様々な技術を使って作品作りをしてきましたが、今、そのような力を使うような作業ができないので、文人のジャンルに移行しつつあります。


もう、あまり頑張りたくないし、墨の方が自分の資質に合っていることも最近知ったのです。


書をやったり


書画をやったり


それは日本画として通用するのではと思うに至ったのでした。


適当なのも大事であんまし頑張らないことも大事です。趣味は気晴らしということもあって制作していて楽しくあるのが大事であるからです。


上を目指そうとか思うと苦しくなるし、かえってプレシャーになってつまらなくなってしまいます。趣味は趣味でそれなりに楽しいことが大事だと思いますね。


あまり真剣にならない方がいいかも。気が乗った時に趣味を楽しんだ方がいい。遊戯しているときは悦に入って時間も忘れるからね。そもそも余裕がないと芸術はできないと思う。暇が芸術を創造する原因だと思うよ。まずは暇人にならないといけないね。余裕は大事だと思いますよ。


人は多くのことはできないですね。一つ二つできればいい感じです。多くを望んではいけないようです。二君に仕えずと言いますし、天は人に二物を与えないと言います。何かしたいのなら暇にして何か集中したいことがあればそれに取り組めばいいと思います。


私の知っている人で言えばその人に彼女ができて絵が描けなくなり彼女と別れて絵を選んだ人もいます。けっこう有名な画家だったと思います。


僕ならどうするか、彼女を得るには確かにハードルがキツイですね。お金がかかるし、責任取れない。だから恋愛はかなり無理ゲーであることがあります。もし、彼女を得るのであれば全てを捨てなくてはならないでしょう。それくらい人生の時間も、エネルギーも、仕事量も、資金力も消費していくのです。高い買い物であり、お金の無い人には無理なのですが、命がけですよね。


暇か、それは大事だ。世界一貧乏な大統領が恋愛するくらいの余裕は大事だと言っていた。そうかもね。最近、僕は余裕がなかったな。そう思いますよ。だからの文人画家の趣味人を目指しているのであって、余暇の時間も書画にうつつをぬかす時間はあるのですね。



目的は大事だと思うし、その過程も大事だ。結果良ければそれでよしもありましょうが、その結果はすごいものだと思います。結果を出せるのは大変な偉業に思います。その結果には多くの時間とエネルギーがかかっています。そして材料もたいへん使うことでしょう。でも、結果はすごい。その結果にはやっぱり暇があったということです。なので、余裕は大事です。余裕は創造の原因であろう。余裕が芸術を作り、余裕が恋愛を成立させる。余裕が何もかも作っていくのでした。


こういう文を書く僕も暇なわけです。


ここまで読んでくださり感謝します。


ありがとうございました。


2021年4月17日

ほんだゆうきしるす

コメント

このブログの人気の投稿

𣘺本悠 個展 NGG中野銀座ギャラリーを観て、筆者・本多裕樹のアートの旅。 2024年3月24日日曜日~3月30日土曜日

新藤義久の写真の世界 批評 本多裕樹による

喫茶店 June 本多裕樹展 2024