「これから語るでしょう」

 「これから語るでしょう」





僕には思想らしきものがあるのだろうか?思想はなんであろうか。


そこがわかれば僕にも思想はあるかもしれない。とりあえず、自分は何を問題に生きているのか。僕は何を問題に生きて、どんなことを伝えんとしているのだろう。こうやって文章を書いていることな何かしらのメッセージを公布したいと言う思いがあるからだろう。


僕の問題とは「美術」ではないだろうか。このことについては毎日、毎日考えている。美術は好きなんでしょうね、特に若い頃に美術を勉強してそれ以来ずっと美術と向き合ってきたのだよ。それは才能と言えるのではなかろうか。そのことについて考察している人生でもあるのだから、そうやっても皆が皆このように僕みたいに美術を考え続けるわけにもいかない。


たいていは大人になれば恋愛もして結婚して子どもが幾人か生まれその人生の一般的なテンプレートのまま生きて人生を学び社会に貢献して幸福に生きて文明の発展に寄与しているのがたいていの人たちであり、それが人々がいいと言う人生でなかろうか。そう言うイメージを僕は思っています。


そうでない生き方をする人もいます。僕の友人では幼少の頃から読み書き計算をできるようになってサイエンスに興味を持ち中学高校、大学、大学院とまたそれからもずっと物理、数学の探求をして永遠とその道に精進しているのだ。そう言う学者もいるわけで、それは他の人では真似できない、いや、真似してはいけないのだ。


それは人の行ける道でないのだ。実に特殊なケースであり神に愛された人でなければ、もしくは呪われていなくては無理なのだ。


僕もそうで幼少の頃から美術に興味を持ちその道にストレートには行かなかったが紆余曲折しながらなんとなく美術を探求することになり、人の道を放棄してしまったのだ。なので筋金入りの美術家といえましょう。


でも、こんな大きなこと言っていますが実は実力は劣っていて上手くはなくかと言って巨匠のような作品が作れていないのが本当のところです。でも、やっているのですね。


今は、介護の仕事をやりながら美術と向き合っています。実は言うと34歳まで仕事をしていなくて、両親がもう定年するので就職したのです。今、就職して5、6年経つところです。まあ、いわゆる元ニートであったのです。ニートを続けられたのは一重に両親のおかげでありずっと美術に精進して高みを目指そうと懸命に頑張った経験が自信になって仕事にも精進できるエネルギーになっていると思います。


まあ、そんな僕でありますが美術について今後、僕なりの見解を語っていきたいと思います。あらゆる作品を見ての感想を、また僕自身の作品など、また詩とかを紹介できたらなと思います。




ここまで読んでくださり感謝します。

ありがとうございます

2021年3月25日

ほんだゆうきしるす


コメント

このブログの人気の投稿

𣘺本悠 個展 NGG中野銀座ギャラリーを観て、筆者・本多裕樹のアートの旅。 2024年3月24日日曜日~3月30日土曜日

新藤義久の写真の世界 批評 本多裕樹による

喫茶店 June 本多裕樹展 2024