「あまり真剣にならない方が」

 「あまり真剣にならない方が」






あまり真剣にならないことだと思います。あまりにも真剣だと楽しくないし、悲壮感がでて苦しくなりますよ。自分にとってそれは良くないと思います。


自分をいたわっていきたいですね。


人生には勝負しなくてはならない時もあると思うけど、誰でもそれはあるがゆえにその苦境が自分を成長させてくれる。いつも成長も困るのは事実です。


私は怠け者です。本当にそうでなるべく気を抜いています。100%は無理です。60%でいいと思っています。普段からそうです。


かつて、僕は絵を命より大事なものと思って精進していました。それからしばらくして自分は絵から離れ、自由になった。そんな真剣にやるのは楽しくないのですね。ゴッホやピカソになろうものならそれは命を差し出さなくては無理なのはわかるから自分もそのように絵に精進したけど、僕には無理だった。それだけ。



でも、そんな無能の私にも本気になることがあるのだ。一年に一回開催される国立新美術館で日本アンデパンダン展があるのだけど、そこに出品する絵には本気で挑んでいます。それでも力不足は否めないのですが、その展覧会だけは本気で取り組んでいますね。制作に。



私は40歳になります。それであと10~20年は時間はあるかもしれませんね。その間、一発花火を上げたいものと思いますが、それを書画に込めてみようと思っています。


なんていうか努力とか進歩発展とかもうしたくないし、できないですね。すでに老害になっていてじじいになっているのです。そんな中、書画は自分にとっては楽だし安易にできるので合っていると思うんです。


別に、時代をリードする必要もないし、売るつもりもないし、ビジネスしたいわけでもない。ただ単純に好きな趣味をやって遊びたいだけなんですね。


疲れているし、あまり力がない。それでも生きている。最後は美しくあらねばと思いますよ。死ぬその日まで仕事はしていたい。職業に従事していつつ死んでいけたらいい。それは誉だと思うよ。ただ、暇して生きているのはもったいない。なので、必ず死ぬ人生ではありますが、死ぬ日まで生きて完遂すればいい。


真摯に生きるのもいい。怠けて道楽に生きるのもいい。どちらも大事だね。青春もすばらしいし、老いていくこともすばらしい。人生をそんな欲張っちゃってもいいし、断捨離も大事だ。人は裸で生まれて死ぬときは思い出だけ天に持っていける。その思い出すら儚い幻にしか過ぎないが、とても無意味なものだ。宇宙の広大さから考えたらちっぽけなものだ。しかし、そんな儚い人間の人生でも花は咲いているのだ。





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