「ゆるく雑文で芸術談義」
「ゆるく雑文で芸術談義」
しばらく、休んでいました。文筆についていろいろ模索することもなく、絵のことも制作をしていませんでした。それは休息をもって一種の安息日をおくっていました。
一時期なにもしないと言う空の時間は大事なものでいわゆるリセットするという意味もあります。そうして私は新しい文筆にむかえるのです。
詩はまだ書いていません。ほとんどネタが無いのが現状で自分の人生の経験からとってきて作品にしてもいいのですがそれはあまり良作でなくプライベートなことも書いちゃうのでトラブルの種になることが多いのが危険であることです。なのでプライベートは秘密にしておくのが人間関係で安全であると言えます。これは本当のことなのです。
まあ、こうした雑文においては僕のプライベートではありますが、まあまあ気楽な内容であり、僕自身の芸術観の研究がメインなのでいくらか問題はあっても少しの毒で済むのでまあまあセーフだと思います。
詩は本当はプライベートのことをネタにすると迫力が出てすごいのがポイントで空想以上な生々しさと立体感が出て作品としてはいいものができます。これは絵画においてもそうかもしれませんがリアリズムというか写実はそれだけで説得力があったりします。
私は写実的な絵画を描けませんがそれっぽく見せることはできると思います。そういう意味で、わかる形や現象を絵にするといくらかものに見えることです。
抽象画になるとわかる人にはわかるし、わからない人にはわからないのですが、なんとなく雰囲気で楽しむことができます。抽象画はさまざまな見方ができるので面白いかもしれませんね。
私も抽象画を描いたことがありますが、それでも単なる空想というか虚構をもってデタラメに描くのでなく、実際、現実の何か見えない何か、何か見えないものだけどそれを絵に構成して描くことをした経験があります。例えば自分の今の気分とか音楽を図にしてみたり、見えない可能性を絵にして表現したりします。まったくのデタラメではないですね。何かを描いてはいます。そういう意味で抽象画も現実の生活から経験から離反したものでなく、いくらか哲学的な発想をもってキャンバスに具現しているのが現状なわけです。
詩もそうですね。いくらかなんらかの事件や経験を異化しながら創作をやっていけばいくらかの生々しさも出てくるしリアリティーも出てくることだと思います。
芸術家は現実から遠ざかって空を追うように見えると思いますが、実はそうでなく社会とか科学とか哲学とか、また歴史などそういう学問も修養しつつ表現を続けているのであります。
けっこう現実をしっかり見ている人もいるし、また空想にふけっている人もいるかもしれません。
まあ、さまざまでありましょう。
ここまで読んでくださり感謝します。
ありがとうございます。
西暦2021年6月某日
ほんだゆうきしるす
コメント
コメントを投稿