「芸術の価値とは」

 「芸術の価値とは」




さて、芸術について考察してみたいと思います。今日は何を問題としようか。


またまた、絵画について思いを巡らしてみよう。


突然ですが、絵って目で見るもので、目がある人ならかなり客観的なものかも知れません。見ればわかる。


まあ、見てもわからないものもありますが、大体は目で見れば絵そのものは観てアート体験することはできると思います。


見ればいい、それだけでいい。何を感じようが、何を考えようが、楽しめるものであります。


その絵は作者があって、作者、画家はいろんな意味や意図を込めて描いた作品ですが、展示会に出すと鑑賞者がそれぞれ見て、それぞれ感想も違うのが現実で、作者の最初の意味や意図とは関係なく、鑑賞者の主観で絵の価値も変わってくるので面白いことで、鑑賞者の脳内の網膜で混合され価値が生み出されていく。


画家は作品を作ればいいのですが、鑑賞者の方も絵を作っていると言えます。


特に素人や玄人は関係なく、ただ、見ればいい。それで楽しめればそれでいいと言えます。いたって簡単です。観てみればいい。それは名画であればあるほど人生を変えていくような作品だってある。


絵に意味はあるのか、生活の中で価値があるのか?それは無いと思います。無くていいものだと思います。しかし、無いと困るものです。美術は人生にとって大事だし、国家のためにも必要です。じっさい世界を動かしているのは芸術である事もあるのです。もし、芸術がなければまったくのつまらない世界になって人間であることすら意味が無くなってしまうのです。


芸術はいらないと思われながら絶対的に必要なものであることを知る日も来るでしょう。芸術が国を作り、世界を作っていることの事実を悟ることができるなら、芸術の必要性も感じ人生に潤いが出てくるでしょう。


この国体に必要なのは


第一に政治、経済、そして芸術であり、芸術は文明にとっても人間生活、地球生活に必要であることです。


芸術は彩りであり、芸術は人生に潤い、すべての経済を支えていて、政治を美意識によってよき方向に導く、そのような可能性をもっています。


ある画家を見てみよう。彼は大学で哲学を勉強して、その絵に哲学的な意味を盛り込ませた。しかし、画家はそんなの意図していなかった。できた作品はそのままでよかった。素で描いたのだった。美術教育も受けて現代美術に手を出したが、哲学を意味持たせた絵を製作した。そうして画家はさまざまな縁をもって高いサロンのような展示会に出品するまでになったのだ。


私は何が言いたいかと言うと、その画家の学び、人生観、哲学、教養が絵に表出されていると言う点にある。画家は内面にあ精神をもって、教養が滲み出すような絵画作品を描ける才覚を開眼させている。絵は決してお遊びでないと言うことだ。


こう描きたいと言う思いが無意識にその作品を創造しているのだ。



絵は、

物でない


絵の具の塊ではない


絵は、精神から生まれたのだ


だから、意味がある。


でたらめでなんかないのだ


意味があるのだ


それは心を動かすことができるのだ。ハートから出た作品が人を、鑑賞者を感動させるのであります。



ここまで読んでくださり感謝します。


ありがとうございました。


2021年8月1日

本多裕樹記す


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