アートコンフュース番外編 原宿 デザインフェスタギャラリーにて 杉浦あかね 作品集
アートコンフュース番外編
原宿 デザインフェスタギャラリーにて
杉浦あかね 作品集
みやび、華やか、そして、繊細に細やかなお心、沈黙の水彩、そしてみやびにて、美しく、細やかさを、私は見る、この線の美しい旋律を、ピアニッシモのような粋な感じ、素直に美を感ずる柔らかさに、一つ、一点を見つめる。ある、植物を愛し、静かに見ている。荒くなく、描く線が丁寧で優しさがある。ただの技術でない、心で描いた花の、「菖蒲」である。ボタニカルアートでなく、また違う、日本画でもあり、また違う。作者自身の精神が導き出す美を私は見たのだ。不思議な安心感と、痛さ。緊張感のある鑑賞の瞬間瞬間、それが面白く、楽しく、ある聖心を思わせてくれるのだ。私はこの作品をいいと思った。なぜであろうか、都会の喧騒を忘れさせてくれる。そのような可能性、そのうような美の緊張感における光を私にもたらしてくれた。大変ありがたく、大変すばらしい体験である。
野の花は何もしなくてもぽつんと咲いて私たちを癒してくれる。そもそも花はそうであるし、婦人というのはそういう感じもする。あるだけで癒しになる。そういうことはあるのだ。
薄い水彩に、花の線の緊張のアマリリス、余裕に優雅な日々を感ずる。ふだん花など意識して見ない現代人はこの花を見て何か感ずるところもあると思う。私がそれだからだ、いくらか花を見る余裕も大事だと感じた。
時間がゆっくりだった。
この花を見て、いくらか幸福を感じた。なぜだろうか。
春の予感、春は過ぎ去る、筍は春を知らせる。いずれ竹になるか、食卓に料理されて春を思わせてくれるのか、そんなことを考えながら、鑑賞していた。あまり刺激がないのがいい、静かな沈黙、時間がゆっくり、柔らかく、空間を癒しで広げてくれるオーラを体感した。多分、この芸術家 杉浦あかね女史にしか描けない絵なのだろう。
忙しい人は、私を含め、この杉浦あかね女史の絵を見ると粗野な感情を浄化してもらえると思う、そんな絵だと思った。
春をしみじみ感じるのは、忙しい人ではむずかしいし、焦っている人ではこうした絵を描くことはおそらくむずかしいだろうと思う、いい絵の条件は動きがあるか、もしくは沈黙にさせるかという極端なことはあるのですが、このアートコンフュース番外編、原宿 デザインフェスタギャラリーの杉浦女史の作品はちょっとした緑陰となったり、癒しになっていると思いました。
私は女史の展示を見て、人の大勢いる原宿で静かな沈黙を得たと思いました。
2022年6月13日
本多裕樹記す
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