埼玉近代美術館 「平和美術展」記事・本多裕樹

 埼玉近代美術館 「平和美術展」





あと、もう少しで終わりになる展示で、1週間の平和を祈る作品が灯火として川に流れようとしています。


数々の絵画や工芸作品、書など、私たちをアートへと導いてくれた。


鑑賞者の方々も何か楽しい思いをしたり、何か考えさせられるものもあっただろうと思います。





日本では奇跡的に70年戦争はなかったのですが、世界ではいつでも紛争があったり攻撃があったりしました。


その意味で、平和を一度確認して、それは平和は奇跡であったのかと思い知らされます。


平和は島国であるから、あまり干渉されなかったのだろうか。地政学上そうなっているからか、しかし、世界の平和を祈ることは大事であるし、これからグローバルになっている我々の生活の中で戦争は無い方がいい。





人それぞれ、個人個人は違う、そういうなかでトラブルもあるし、それは避けられないのも事実なのであって、仕方ないと思うところもあります。


みんな自分が大事なのであって、自分を悪く言える人はいないのだ。誰かを悪だと言っても、相手があなたを悪だと思う。


そういうのが国同士で行われている現実もある。


アートは決して世界を救うものでないかもしれないが、作品を通して何かを提示することができる。





何かを、答えは出さないけど、問題を出すだけにしか過ぎないかもしれない。とっても無力でありますが、アートには人間個人の心理があって一種の人間的な叫びにもなっている。


ちょっとした人間讃歌の態はあるのである。


今、私たちが心の底で願う心の声を芸術として再現し絞り出しています。


そういう意味で意味のある祈りでもありますし、自由ということを解いていることもアートは教えてくれる。



人間の本当の心を知ってもらう。


鑑賞者はそこで気づくだろう。こういう世界があるのだと、アートの世界は自由で何か自分の思うことを発信できる一つの表現手段であり、それはものであることを。しかも具体性があって説得力もある場合もあるし、わからないこともある。


謎を提示されることもあって、その意味について考えることもある。





じっくり、作品を観て、何か感じるものがあると面白い。


私は今回、「風神雷神図屏風」という作品を出品しました。他、「白き先」というウクライナとロシアの争いについて自分なりの思いを提示してみました。






人間の心の激しさというのに、日本の美術の伝統である琳派において私なりの解釈で描いてみました。そこには西洋と東洋の融合を果たせたのではと思います。私はこの作品に爆発を込めて自分の心をぶちまけました。激しい鮮烈の色でもって絵筆を塗り込めました。






「白き先」は慰霊とあの世、三途の川をイメージしました。誰もがいくであろう死の世界について安らかな世界を思い提示してみました。


生きている人にとって周囲の不幸は不幸にうつると思いますが、あの世に行けばそこには、またそのあの世でのゆっくりした生活があるので一概にこの世での不幸があの世ので不幸にならないという思いがあります。





そうして平和美術展が行われております。


そして、1週間で終わって行きます。


あとは、思い出だけが、のこればそれでいいと思います。


来場くださり感謝します。


皆様に平和がありますように、


2022年8月12日

本多裕樹しるす 

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