河口聖個展 ギャラリーKにて




 


河口聖個展



いつものシリーズ、これは抽象画であろうか、何か別のものであろうか。そもそもものであるのだろうか。古代の雰囲気、古代の思い出、私たちは何を思うのであろうか。


私は河口聖 氏の絵にエジプトの遺跡にある壁画を連想させる。神秘的で哲学的な可能性があると感じた。


河口聖 氏は古代日本の縄文文化を標榜して作品制作をしていると定義されていますが、縄文、もしくはそれは私たちが忘れ去ってしまった原始のアニミズムの可能性を再興させようとしているのだろうか。ルネッサンスで写実絵画が完成し、その中世の絵を引きずっていたのを一度切って、本来の人間の魂に内在する野生性、本来の人間の魂を引き出して作品を創作している感じが私にはしました。





すべて人間の魂は同じ、精神の可能性をもっていて誰もが繋がり、同じ光の心をもっている。抱いているのだ。誰もが美を知っている。それは根源からの魂の絵を私たちは知っている。だから、これはあれは美しいと、感じることを感じ、自分に落とし込むことができるのだと思います。


懐かしさ、


思い出、


原風景、


これらにそれらの絵画に感じる。これはアカデミックな美術教育の概念を捨てなくてはわからないだろう。私もそうであったからです。一つの衝撃、気取ってなく、飾ってなく、素直な気持ちで見る前に、今まで学んできた美術教育の概念が壊れていく。過去、かつて古代にあった遺伝子のどこかが覚醒される。それが開かれる。鑑賞者はどこか遠くの記憶が遺伝子レベルでフラッシュバックし、私たちは河口聖 氏の絵を観て隠された知恵が思い出されるのだ。河口聖 氏の絵は本物である意味はやはり人間の遺伝子の過去の根源の表現にあるからだ。私たちはただ、思い出す。古代の記憶によって古代の遺伝子が開くのだ。







野生性は人間にある。いつしか文明が進みあらゆる便利なものによって本来持っていた能力を失っていく。社会も機械的に構築され、法律によって縛られ、またあらゆる常識に、流行に、右往左往し自分がなにものであるかを忘れてしまう。


私たちは私たちの作った文明によって本来の生命の根源を失い感覚も鈍って来てしまうのだ。私たちは社会に生かされ牢獄の中にあるのかもしれない。あらゆるイデオロギーによって管理され、真実の魂の可能性を封印されたのかもしれない。


しかし、河口聖 氏の美術は本来忘れられた人間の魂を復興させる可能性があるばかりか、古代の人間の能力と美意識を通して現代の病から解放させる覚醒のきっかけの絵画作品なのだ。ただの絵でないのだ。


私たちは、心を失ってはいけない。


そういう啓示の個展であると思います。





もし、この世の中が機械やテクノロジーに支配されることになり、心を失い、人間の美意識の混乱が起きた時に、本当の心から、ハートから出る美術作品というものが一つのバイブルのような効果をもたらしてくれることもあると思います。




この河口聖 氏の個展はそのようなことを教えてくれたと思います。


根源的な美を再現し創造された作品群であったと思います。


そして、これからも河口聖 氏の絵が私たちに本来の生の人間を思い出させてくれると思います。






2022年10月15日

本多裕樹しるす

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