上田靖之 個展 展評 (ギャラリーKにて) 本多裕樹による
上田靖之 個展 展評 (ギャラリーKにて)
西暦2023年11月 ギャラリーK(新越谷)において歴史に残る思い出が、展覧会として開催されたのだった。
上田靖之という知る人ぞ知る巨匠が縁があってギャラリーKで個展を開いた。上田靖之というアーティストは作品を見ていただければわかると思いますが、人間技でない超絶技巧で描かれた絵画の数々である。このような絵は異常な熱意と集中力を必要とする。そして、鑑賞する方も集中する。一点の作品の鑑賞時間が一点7分くらい長い時間見ても飽きない。10分くらい一点の絵に釘付けになる。細かいところまでいっさい手を抜かず描かれている。近くで見るのも楽しい、遠くから俯瞰して見るのも衝撃的な、なんというか壮大な物語が繰り広げられる異常さがある。この作品群は天国なのか地獄なのか、絵に対する熱情が恐ろしくもある。
細部まで、多様な色はあまり使わないが、それがゆえに細かい細部まで絵筆を塗ったり線をひいていく。
この作品群は、一見、古典的な画面である。
西洋画における古典を現代に持ちきたって再現している。そして、上田靖之の思想や思いが塗り込まれている。これはクラシックでもあり、新時代のクラシックでもある。そして、現代アートなのであろう。しかし、古典であり後の世代にも語り告げられるような普遍性がある。
つまり、ネオ・クラシズムなのである。
小説家の村上春樹は毎日、ルーチンで小説を書き、それは倦まず弛まず毎日毎日執筆して、しかも手を抜かない。それも手を抜かないというところに作品に対する誠実さがあると思う。
上田靖之も芸術に対して、絵画に対して純粋で誠実さがある高きレベルをもっている。仏や神に祈るように、絵画、キャンバスや板の支持体に真摯に挑んでいく。それは断食して祈るように、芸術の神に祈りを捧げるように描くのだ。それは純粋であり、または信仰心かもしれない。それくらいの熱意と至誠であることを絵を見て痛感する。
初日に筆者はギャラリーKの上田靖之展を観て作品を楽しんでいましたが、上田靖之はまだ絵の世界にいるようであった。
上田靖之はこの世の人でありながら、意識はどこかの世界にいくのだと思う。この世の人でありながら、あの世の人でもある気がする。おそらく神や仏に意識を飛ばして見ているのだと思う。イメージやインスピレーションで感じて、その人ならぬ神々の世界をどこかでキャッチして、自動書記をもって描いているかもしれない。人間の知性では不可能な絵を描いているからだ。
人では描けない。不可能を可能にする力をもっているのが伺われる。天才というと花火のようなイメージがありますが、天才とは天からイメージとか霊感を受けてそれを再現する人のことだと筆者は考えます。しかし、いくらイメージがあってもそれを再現する技術が無ければその宝なる啓示を再現できない。上田靖之の場合、インスピレーションもあり技術も超絶技巧である。しかもインスピレーションも破格の世界である。あの世を旅しているのがわかる。それがゆえに霊感と技術が一体となった完成度の高い一点の作品ができていく。それを質実な天才と言えるのではないだろうか。
上田靖之の立場として、中世のイタリアの詩人でダンテの作品「神曲」という長編詩がありますが、その世界とどこか繋がっていることを覚えます。ダンテは地獄、煉獄、天国と旅をしますが、その旅を絵画制作をしてあの世の世界を描いている気がします。
おそらく霊感状態にある時、絵の世界に入り込み仏や神を見ているのだと思う。
神を見たことのある人はいないという人はあるかもしれませんが、アーティストはどこかで神や仏を見ていると思う。
上田靖之の絵に菩薩や如来が浮き彫りになって見えてくるし、天国も地獄も見える。
画家・上田靖之は、現代の詩人・ダンテではなかろうか。
ダンテのようなアーティストと言えるし、その世界に視点をおいて啓示も受けていることからシャーマン的資質もある霊感の画家だと思う。
どうあっても中世の世界観だと思う。それをさらに発展させ現代の日本にある。
こちらの作品はいくらかゆったりしている。落ち着いた抽象絵画だ。センスはもちろんながら、ゆったりできる。何層も絵の具を塗り重ねて、しかも、爽やかだ。清涼感すらある。タブローの容量の激しい作品から、一転して和やかである。筆者はこの絵に癒されている。ネオ・クラシックシリーズは美術館に常設されて然るべき高い質の絵でありますが、こうしたゆったりまったりの抽象画も日本料理でいうところの箸休めでいいかもしれない。いいと思う。
ネオ・クラシックシリーズは美術館に所蔵されて然るべし、であると思いました。
また、版画作品もあって上田靖之は初め版画から入った経歴がある。版画は宇宙や生命の樹、セフィロトの木を想起させる図もあったり、地球や星、微生物の世界や、古代の遺跡の刻印があったり、また別の楽しみがある。微小の世界から、古代の思い出などがあった。上田靖之の版画はやっぱりヨーロッパの感覚が強いと思う。ヨーロッパの先住民の神官のようなドルイドの僧侶の描くおまじないや文書に近いものを感じる。
上田靖之の世界観はヨーロッパを魂の世界として意識は存在していることをさまざまな作品を見てピースが繋がってくる。
もちろん、日本的な感覚もあると思うが、基本ヨーロッパの精神がとてもメンタリティーとして強いと思いました。
そうして、今日も絵を描き、天かけているのでありましょう。
最後に肖像写真であります。
絵も描き、歌も唄う。
アーティストそのもの
全身芸術家のお姿です。瞳が綺麗なのが絵に対するまなざしなのでありましょう。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
良き、アートライフを、
令和5年12月2日本多裕樹しるす
ギャラリーKより
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