2024年2月10日土曜日 書画揮毫 本多裕樹と根本慎也による
2024年2月10日土曜日 書画揮毫 本多裕樹と根本慎也による
朝早く、宮代町の進修館にて、ライブペインティングもしくは揮毫をする。
揮毫はその場で書画をすることで、ライブペインティングであります。
この写真は根本慎也氏が撮影して、私、本多裕樹が描いている場面をシャッターで押したものであります。
この絵を、もしくは書とでも言おうか。私たちは禅画を描いた。
仙厓、白隠、良寛をめざして、またオートマチズムにおける自動書記もこの絵に、または書に無心に向き合っている。
何も考えていない。
ただ、
私はだいぶ前に、詩劇を書いたので、その世界観を念頭に筆を進めていった。
無心、ただ、この障子紙のロールに入っていく。
そこに、真剣さもあるし、
無心になって日々の労働の疲れや煤をとって清めるように、自分たちは無心に、毛筆をとり、写真に向き合う。
絵のうまさとか関係ない。
ただ、描くことに意味があるのだ。
いわゆる遊書とでも言おうか、ただただ無心だ。
本多は根本氏と2年ぶりに再開し、また、お互いに芸術に向き合うことになった。
今は、遊書というか禅画の道に行こうとしている。
根本氏は旅をしていた。そこで様々な経験をし、ちょっとした精神修行をし、今にいたる。
お互い、こうして芸術を主として、兄弟弟子となっている。
私にも今師事している先生もいない
根本氏にも師はない
ただ、芸術の遊戯に書に遊んでいる。
私たちの描いている書画は商品にならないだろう。
もし、購入する人がいたら、相当なもの好きであろうと思う。
マーケットをまったく無視して、
自由に筆を進める
その瞬間に楽しみもあるし、悦楽もある。
私は、絵を展覧会に出品したりしていますが、そこは戦いの場所で何らかのストレスもあるし、傷つく事だってある。
自分のいたらなさに、
負けそうになっている。
その画壇の世界から離れて、寺院のようなところでただ描き、書く。
自由に、
無心に、
根本氏も安心してか、筆を動かす。
仙厓の境地にいたっている。かわいい感じがいい。
私の絵は多少、カルマがある。まだ抜き切っていない。
根本氏は瞑想生活をいくらか経験して、脳が清まっている。
旅をしてきた思い出は、かなり影響があるのだろう。
都市生活は普通の人でも、どこかおかしくなる。
私はかなり狂っている。
そんな中でも、無心になる時間が必要である。
静かな朝、この制作は9時30分頃からはじまり、1時間くらい和紙に向き合い、根本氏も本多も無心になって筆を進め、写真を撮影し、ライブをする。
何も考えていない。
ただ、書く
全部書ききって、何らかの無秩序の中に、調和を見ようとする。
畢竟、人は絵を自分の好きなように見るのだ。脳がしっかり見ようとする。
墨もあまり消費しなかった。
墨汁であるからか、擦る努力をしなくていい、
墨汁は便利な書道道具で、即興的に書くなら最適である。
バケツに墨を入れていました。
このバケツの中に、私たちの青春があるかのように、
ただ、描いた。
その思い出だけがあるのであった。
ただ、プレイに意味があった。
この絵は、倉庫にしまって、いつか、誰かに見せることもあると思いますが、このブログでお見せして、
思い出のエンターテイメントをご提供させていただきます。
朝の早く描くライブペインティングで、制作時間は大体、1時間30分くらいでした。
なぜ、こんなに早いかというと、考えていないからだと思う。
ただ、無心に、筆が動くがままに進ませた。
これが、揮毫の面白さだと思います。
ここまで読んでくださり、感謝申し上げます。
また、このチャレンジをしようと思います。
ありがとうございます。
令和6年2月11日本多裕樹 記
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