水面の輝き 浜田澄子 絵画の方向展2023年 ギャラリーKにて
水面の輝き 浜田澄子 絵画の方向展2023年 ギャラリーKにて
水面の輝き 浜田澄子
これは、去年のギャラリーKで絵画の方向展で観たものです。自分以外の作品の感想や批評を書くのは久しぶりに思います。ある芸術の先輩の思想家の方が、美術作品を知るためには、作品をじっくりみて語りかけ対話するものだと教示された。
この、絵は私に何を感じさせたか。水のささやき、光、彩光の煌めきの流れが聴こえる。その様は深く、どこまでも続くような瞬間と永遠が沈黙とともに心を静かにささめく川の流れと深淵がやってくる。
シンプルな図でありながら、それは温泉街の、静かな、山の奥の果てにある秘境の世界を白い光と奥にいたらせる静寂が自分の目はこの美術に心ゆだねても良い。不思議な安心感が、そして神々しく黄金のような輝きが徐々に揺らめく。
日本の伝統をこの絵にエッセンスとして抽出して、水墨画のような、または静かにあることも忘れたような、人の意識を無くして、幽玄の世界に私たちをいざなう。
静かにずっと時間も無くなるような、忘れるような、この絵を観ている時間は沈黙の至福ではなかろうかと思うのだ。皆様はどう思うわれるだろうか。
社会が不安定なこの時代に、心静まるということは難しいかもしれない。お金が無くて困った生活をしている人は、余裕がないかもしれない。
しかし、一点の絵によって、気分が変わることもあるし、ちょっとしたブレイクタイムになることだってある。
白地が輝きを、
深淵の底に沈黙を、
影落とす現象に光彩を。
ただ、あるだけで幸いなる可能性
絵は絵であって、時の流れを繋ぎ止めその世界を見て開陳される。まるで映画を観るような静かな気持ちで、湖水を眺め、沈黙する。
優しさと
悲しさ
強さ、弱さ
儚げに強度の川の流れの筋が思考を、休め、また、回転させる。
人生に向き合い、しっかり生きた人の美術、心落ち込むことの多い時代、それもまた難しい。
ただ、あるだけでいい
ただ、いるだけでいい
ただ、生きていて老境に達した境地の世界に、道もあろうし、無もある。
幽玄は沈黙の中を流れる川に私たちは生きている。
私だけに見える世界、
あなたにしか見えない世界、
君にしか見えない世界が、相対的だとしても、私たちは見ているものが同じだった時、その空間を共有し、
ともに、盃をかわそう。
銀色の世界、月の世界、精神の夜、私たちは夜にその瞬間を観るが、昼間の山の奥で自然の豊かな、四季のあるところで、この作品の原風景が見えるのだ、
原風景とはあの世のことか?
私たちは生まれたところでも、生まれる前の世界でも、その世界の景色を見てきた。
浜田澄子女史のアート作品「水面の輝き」は、それを、私たちに教える。
浜田澄子女史の見ている世界は、この世に降り立ち、美を教えてくれたのだった。
目は音を感じ、日々を清らかに生かしてくれる天道がもたらした啓示の美であろう。
沈黙に、また、美がある。
浜田澄子女史の世界はこれからも続くでありましょう。
令和6年3月3日本多裕樹 記
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