渡辺修一個展 ギャラリーいず にて 展評:本多裕樹
渡辺修一個展 ギャラリーいず にて 展評:本多裕樹
夏の暑かりし時と、秋の月の宵の境界に銀座、京橋の「ギャラリーいず」に絵画鑑賞に行く。
今日は渡辺修一氏の個展を拝見するのであった。朝、9時くらいに家を出て銀座から京橋へ、今日が最終日だという。逃してはならない展示であるのだ。
渡辺修一氏とは美の祭典 東京展で一緒になり仲の良い友人である。彼は武蔵野美術大学の社会人の部で日本画を学び主席で卒業した。その後、調布の文化活動に熱心に務め、芸術をもって人々の心に美を伝えつつ文化の継承を次の世代に残そうと尽力している。
そんな渡辺修一の描く絵画は日本画であるが、それも日本の伝統を継承しつつ、新しいジャンルを展開している。いわば日本画で現代美術を行なっているのである。では、作品を観て行きましょう。
まずは城の連作です。安土桃山時代の空気を感じる。難攻不落の城、それを品のある色で輝くような絵の具のマチエール、顔料であろうか、かなり高価な絵の具の可能性を感じる。この城を描くにあたって良くデッサンの構築をしていて、様々な諸所において取材を徹底的にしているのがこの城の連作を見てわかる。取材の方法は写真とスケッチ、細かいところは資料館で細かいところまで観察して多くの下絵を積み重ねている。渡辺氏に聞いたところ取材は基本であると言う。
まったく手を抜くところが無い。完全なデッサン構築、色に関してはどこか江戸狩野派の色彩感覚が顕著である。明るく少し重くて爽やかでスカッとするような健康的な色彩が目に映る。こういう城や館を描く感覚が、庭師的でプラモデルの制作に近い楽しさを感じるのは、あるかもしれない。城のプラモデルは様々あるが、渡辺修一氏は日本画で建築設計とプラモデルと庭師をやっている様子が窺われた。あと、先ほど書きましたように健康的な色彩が鮮やかに心晴れやかにする。
では、渡辺修一の絵の顔とも言えるメインの武者絵がある。かなりショッキングであり、華やかな鎧を身に付けた武将が熊に挑んでいる。この絵には相撲の様子がうかがわれる。熊も相撲の態勢である。武将も押し出しをし、格闘している。まさか、武将といえども熊に手を焼いているのであろうか。戦う男と熊の格闘、その結末はわからないが戦うことは生命のほとばしりであり命をかけた戦場であると言えよう。この絵に私はパブロ・ピカソの闘牛の連作を想起した。生と死というより、死そのものの先に何があるかを、我々に問いかける。
この絵は、錦を飾る鎧武者が遊んでいるのか、戦場なのか、相撲やボクシングなどで戦っている様子が見える。よく見ると、鎧の細かいところが精緻で描き方において手抜きなし、鎧を良く知る人の作品である。聞いたところ渡辺修一氏は時代小説が大好きであり、司馬遼太郎の全著作を読んでいた。よく、何作か人物の顔を見ると、顔が漫画の要素がある。劇画的であり、戯画に近いデフォルメがなされている。年代的には手塚治虫や劇画の影響かなと思いましたが、戦前の日本で流行した、挿絵に近いものがある気がする。日本画家が挿絵の仕事をする時代があったがその時代の挿絵に渡辺修一氏の人物画の可能性がある。つまり、日本画の伝統を受け継いで作家として醸成されたのだった。
次の作品は戦国武者、姫武将が聖火の周りを回って舞を踊る。これは戦場で戦う前の戦勝祈願なのであろうか?それとも戦の後、死者たちを弔う舞なのであろうか、昔の武将はそのようにしながら死者を供養していた様子が見える。この三人の姫武将の舞は実際のある舞を絵にしている。創作でなく取材をしている。後方の舞はイナバウーアであろう。徹底した取材主義なのが見て取れる。また、この絵の時間であるが夜明け前である。私の見解であるが、やはり戦場のあと、夜通し舞を踊り、死者を供養している気がした。
これは前田青邨の絵のオマアージュであろう。渡辺氏流の源氏の戦画である。こうして日本の伝統は繋いでいく。火がメラメラ燃えている。それも生き生きとした生命の躍動のある炎、武将たちの中に姫武将もある。絵そのものも良いが、私は火に目を止めてしまう。火力が命の情熱を感じた。渡辺修一氏の作品を観て新しい日本画を創始しようという思い入れを感じた。
これは壇ノ浦の戦いであろうか、荒波の表現が俊逸である。武者たちはそれぞれも持ち場でスタンバイしている。船の木肌の描き方も難しいであるはず当時の平安時代の船の様子と絵肌がすばらしい。武将たちのキャラクター化もあって、それぞれに個性がある。
次の作品は戦勝祈願か?それとも戦後の供養か、武家の棟梁がお社に太刀を奉納している。これも、武将のけじめなのであろう。後方の武将はもしかして新田義貞であろうか、そんな想像をする。
こちらからは武者が現代スポーツをする。
渡辺修一氏は本当に現代美術作家に入るだろう。色も綺麗だし、奇抜なアイデアがある。
武者が卓球やったり、スノーボードをやったり、棒高跳びをしたり、ダンスをしたり、
まったく新しい日本画である。まだまだ、アイデアがあるのであろう。だが武者絵を描く渡辺修一氏は戦場の人と人との斬撃や殺害はしないと言う。武者は戦うものだが殺しは無しと言うスタンスをとっている。そこも新しい日本画であり、現代的な世相も意識した、渡辺氏の美学がある。
また、箸休めであろうか、水墨画が展示してあった。
狼がなんだか可愛らしい、なでなでしたいくらいキュートである。
海の波の表現、もともとは水墨画の名手なのではと思った。絵はデッサンが基本なので、墨でここまで描けるのは表現力の幅は広く大きい、日本の伝統はこれからもっと世界の関心を集めることになったら水墨画は希少価値になると思う。
最後に、凛と立つ城、孤城のような、これで私たちを目休めして、展示のフルコースは終わった。とても面白い展示だったと思います。
終始、手を抜かない仕事と新しい日本画の新展開が見受けられた。手を抜かないという誠実な態度も、丁寧、律を守る、礼節、などの日本文化が生きていて、渡辺修一氏は伝統を受け継ぎ、それを土台に現代美術を進もうとしている傾向が見受けられました。
ここまで読んでくださり、感謝申し上げます。
令和7年10月18日 本多裕樹
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