高倉和郎 展 展評:本多裕樹 2026年5月17日 記
高倉和郎 展 展評:本多裕樹
高倉和郎展
2026年5月11日月曜日~16日土曜日 まで、
略歴 1983~東京展出品
・東京展優秀賞(2016)・東京展賞(2018)
個展 1991/Be -Art /2024 アートスペース銀座ワン
/2016 地球堂ギャラリー 2019/GALLERY SIMIZU
グループ展
地球堂ギャラリー、ギャラリー創、ギャラリー暁、ギャラリーGK、GALLERY SIMIZU、ギャラリーセイコウドウ
ある日、先週のことその日は休日で平日の昼の余韻が響くころ、私の道は銀座まで電車に乗り、向かっていた。日比谷線の東銀座を下車し歌舞伎座の中を通り外に出た。太陽の光が燦々としていた。だが少し涼しくもあった。今回の展示、高倉和郎氏の個展を鑑賞するためギャラリー暁に向かう。
ほどなくして画廊に入り、廊下を奥まで通ったところに作品に出会う。
高倉氏に少し会釈して、アートに対峙した。
初期の作品であろうか、いつも見ているものと違う。高倉和郎氏は東京展の名物的な作家である。DMのハガキ通りのと思いきや、これは生き物、生物の気質を感じた。海の生物、形而上生物がここに絵として現れ再現されている。色は抑えられ、赤が目立ち、黒の世界は無を、宇宙の、無を感じる。または深い淵の深海の世界をその生物と沈黙に浸らせる奥行きを強く感触が心理的生物として一つのミステリアスを感じました。
この作品を見れば周知の通りの高倉和郎氏の作品だとわかるアイコンにもなる代表的なスタイルである。初期の作品からの連続性からこの絵からストライブが入りまるで鳥居のような役割をし、その奥にある形而上生物を抑え封印しているのを感じた。ストライブは光の束であり理知の柱に見える。奥にある神聖な存在を守護しているのか、または力を増強しているのか、それは神聖なものに見えてくる。
思考の形、
思考の図、
思考の象徴に見える。
そして、奥にある心理的な生理を鳥居により、聖なるものと俗なるものを分けているのだ。
静かな夢、峻厳な山の厳しさ、そして残酷なほど人には立ち入ることはできない自然、ただ、自然、人間ではどうにもできない大いなる大地と天空で人間では及ばない厳しさをこの絵から感じる。人間が見ることを許されない実相をこの作品に観た。
沈黙、そして、瞑想、知のストライブ、小品であるがため、お守りであろうか。
そして、プロローグは終わり、小品で嵐の序曲を予感させ奥に偉大な作品が待ち構えている。
さあ、我らにその夜の宴を見せたまえや、
そうして出現した。圧でこの個展空間は怒涛の嵐がやってきたのだ。一見すると、よく見ると山麓の風景に見える。何かの形而上生物が現れた。峻厳さをまた、巨大な画面に圧して押し寄せる。これが偉大なアートかと思わさせる。威力、ストライブは雨のように見える。また、何かの知的な制御に見えながら襲いかかる画面に、
正面から目の当たり、やはりどこかの風景に見えるのは私たちの脳がそう解釈するのか、万年杉の林立する山奥の秘境がここに現る。ストライブが水気を帯びている質感ゆえに雨、清めの雨のように、この神聖な土地を潤しているようだ。
この角度から見ると、嵐で川が決壊し水が襲ってくるように見える。何かの祟りに見える。この時、自然の偉大さは人間には無力で矮小なものになっていく。形而上生物は祟り神になっていくのか。
まるで自然、高倉氏の中にある偉大な真実の自然、この絵も厳しいい何かを感じる。もはや禅のその先にある幽玄な自然、抽象画であるのであろうが風景画にもなるし、一つの作品がテンプルになって中にある形而上生物を、または、祟り神を抑えている鳥居、峻厳な自然の人は近づいてはいけない聖なる世界、そして私たちは俗なる世界にある。
私の見方である。この絵は死の世界に見えた。湖の先に永遠の世界がある気がした。そこは安楽の世界でない、極楽浄土の世界でもない。もっと、人も亡くなれば自然に帰還する。宇宙も一部になっていく湖の先に死に消えて、一つになっていく。この沈黙に、峻厳な自然、あの世の世界へ、それは悲しいことでなく、ただ自然に帰還すると言うこと、だが、この絵には希望がある。死の先は輝いている。全ては形而上世界に戻っていく、自然に帰還し、生は永遠になっていくのだろう。そうしてようやく聖なる世界に至る。悟りの階梯があったと言うこと、
そして我々は永遠の川の流れに溶け消え、流れ輪廻する。これは左から川の流れ、川の水が引き上げ、最後に天に帰る。夜の沈黙に、自然の彼方に
最後に、高倉和郎氏の作品は正直、今まで一瞥しかしていなかった事に気づきました。こうして個展という形で一同に拝見して初めて高倉芸術を真剣に見る機会を得て、自分なりの見方、意見ですがこういうものかと感じました。
初めはミニマリストの一人かと思いましたが、まったく違ったこと、もっと奥深く、フォルムを追うことでもなく、むしろもっと心理に訴え、生理的に訴える作品であったことを知りました。
また、哲学的な試作、思考、を観ました。
偉大な作品であったこと、それを垣間見れた事に恵まれた事に貴重な体験をさせていただきました。
2026年5月17日 本多裕樹 記
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