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芸術の書より抜粋、解説1

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            1 この度は、美学とは何かについて私のできるかぎり書いてみようと思います。美学とは、哲学の部門のひとつで、絵画、彫刻、建築などの美術、小説、詩、演劇、音楽などおよそ人が作ったものに放つ何かしらの芸術作品の研究でもありますし、               では、美学とは何かであることを語っていきたいと思います。美学は哲学の一分野でこれは古代ギリシアから続いて伝えられてきました。今回は芸術作品から哲学にしていこうという設定になっています。芸術作品には何かある。何かエネルギーがある。人間の念がはいっているのか?人間が作ったものには何かエネルギーが染み込んでいる。そんな感じを受けた方はいらっしゃるかもしれません。恋人が作ってくれたプレゼントに特別なエナジーを感じたり、また、ご両親の作ってくれた料理に愛という暖かさがあったり、そういうのが芸術作品にはあるのです。その作家の心境次第で作品の運命が決まってしまう場合があります。そういうことがおうおうにしてあります。僕のこうした文章だってただの活字にしか過ぎないでしょう。しかし、この文章は僕の魂から描かれた字の羅列です。これを読み解くのは僕の思考を読むのと同じです。僕の思考をあなたに提供している事実もあるでしょう。こうした文章でもそうなのだから絵画や彫刻においてもデザインか制作まで様々な思考があり、想いがあると思います。絵画や彫刻はかなり材料を使って様々な工程がありますが、音楽に関しては心の音を奏でていることで直接、魂の音がっ表現されていくと思います。こうした芸術ですが、やっぱりそれなりのものを作り出すにはそれなりの修練がいります。思った通りに行けたらやはりビシッとミートするでしょう。芸術家はそこを頑張っているでしょう。鑑賞者の方は、それを受けて感動したりして、感じることでしょう。学問になり哲学にまで発展していくくらい芸術作品を分析する批評家や評論家、頭のいい方々がいらっしゃるし、芸術を楽しむために、そういう哲学に触れて美意識を高めていかれる方もいることは事実であります。楽しむための人もいれば、教養のためとか、美学を勉強して自分を高めていかれる方もいるでしょう。そういうもっと芸術を知りたい人のために、または哲学をやっている人が芸術を探求したい好奇心旺盛な学者が美術史を調べたり、様々な事象

詩・本多裕樹 「夢の花、その名は」

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「夢の花、その名は」 詩・本多裕樹 夜の中、静かな泉に私はいる 坂を登りただ歩く星を追いながら 星々は輝き、ただ歩く そこに花があった。 この夜の中、美しく咲く花は黙って私を見ている お茶に誘おうと試みて 花の美しさを述べる 香り高き典雅な空気に 私はそれに酔う、ただ花を見る そうか、そうか 花は笑みを浮かべ、囁くように瞳を向ける 花の名前を聞こうとしたが、 それは危ないという 花は、香りによって誘惑しようとしていることに気づく その誘いに乗り、 本来なら私が誘おうとしたのだが、逆に奪われる 夢か 夢か 夜は静かに、道を歩く 坂を登り、花も行く 坂の上には何があるか、興味と好奇心が私の心を占める 花は私の脳に幻影として定着して 呪われてしまったこのうつつ 星は見ている 星は見られている 光はこうして証明される 存在は許され夢の中であってもそこはうつつにある 月を追い、星を追い 天空の星座の神々に愛されていた。 君はどこに私を連れて行こうとするのか 寄生した花はただ歩かせる 存在は存在を知り 知り得ぬことは存在しない いたって量子的であり、日々はこうしてあることになる 夢。 夢。 うつつ。 うつつ。 幻影は見えるのか花は花を知る 坂を登った先には花が広がっていた 月の光と 星々の光に照らされて 花畑の坂の上は輝いていた 広がる光の世界、クルアーンの最終地点 花、 寄生したる花に尋ねる 汝の名は、 「リリス」 花の光はいいものだね。 そこで、まどろみ眠る。少し短い死によって 安らかな眠り他人がそこにあったこと それはちょっとした幻想曲であった。

「デッサンと修養」

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「デッサンと修養」 今日もこうして始まりました。今日も語ってみたいと思います。まあ、自分のことを語るのも大事だし、みなさまの何か共鳴するものがあってもなくてもいい雑文という形式であるがゆえに、言葉が綴られていくでしょう。 では、アートのことですね。これくらいしか語ることがないのが僕の限界であると言えますね。昔々、ドガという印象派の画家がいたのですが、彼はとにかくデッサンしまくったそうです。アングルという当時19世紀フランスの画壇の先生に教わって、とにかく線を引きなさいと指導されたのがきっかけでとにかくデッサンしまくったそうです。 このデッサンっていうのは鉛筆で紙にモチーフを写すものですが、それが実は絵の基本であり、絵の設計図になったり、そして、絵の知性でもあるのです。デッサンができるかできないかで画家の資質が問われるものであり、画家にとって生命線であるとも言われています。 ドガはとにかく描いたそうです。 デッサン 素描、ドローイング、クロッキー。様々ペンと紙さえあればできる絵ですね。それで素描家という職業もあって新聞の挿絵なんかも描いて生活費を得るような人もあった。 デッサンできることにおいて表現の幅も広がっていきます。例えていえばPCのプログラミング言語みたいなものであります。デッサンによって絵は始まっていきます。それから他の着彩に向かうことができていきます。 では、デッサンが描けるようになるためにはどうすればいいでしょうか。それはドガ先生のようにモチーフをよくみて鉛筆によて紙に写す修行をすることです。最初は下手な絵ができるでしょう。でも、そんなの関係なしに、モチーフ、風景、静物、人物、花など描くのです。最初から上手く描ける人はこの世にはいません。みんな子供のお絵かきから始まります。レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだしミケランジェロもそうであったのです。とにかく描く事で一歩一歩進歩していきます。 絵は急には上手くなりません。けっこう時間が必要です。そういうものです。ある時、いい絵も描ける時も来るでしょう。いつかね。 しかし、学生はすごいと思います。あまりにもストイックすぎる。美大受験を控え、懸命に精進する。甲子園を目指すかのように懸命です。そういう人はどうあっても上手になるでしょう。青春

詩・本多裕樹 「ツキヨミあるは世界の夢」

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「ツキヨミあるは世界の夢」 詩・本多裕樹 花は風に流されて、そこにいたるは、 歌唄う妖精の声、 静かな水辺に広がる花の世界 時には夜になり、暗黒に沈む事もあったが それでも、花は輝いていた それは人の心に輝く神のこころ 空は夜に染まり、星が輝き 虫たちは恋の歌を奏でる 君は知っているかい その世界はもうこの世にない夢だと言おう事を! 知っていたのかい いや、知らない 知っているのはただこの世界を見た者だけ 花は唄う 花は唄う 主は祝福をもって 主は祝福をもって 夢の中に眠る君 夢の中に眠る君 まどろみ、静かに空を見る そこには世界がちがっていた ケシの花が広がる大地に、 その花畑は怪しく香る 神経が緩やかになって酒でも飲んでいる気分 あなたは知ってるか 夢のありかを ジハードで殉死した者の世界を 夢を そこではまさに悦楽であり、死をも喜ぶとこと もう、いつまでもそこにいたいと思わせる夢だ! 君は見たのか 女神の水浴を あなたの目は焼かれるであろう しかし、記憶にはその御姿は焼き付いている それは取れない それは外せない それは美である 美はその者にとって永遠になるだろう 月夜は輝く黄金の星 夢はもう終えるか 終えないでほしい そうかいそうかい 現実はかくも難儀な事 そうであるなら、汝が見る理想を このうつつに具現されてはいかが そうである 夢から覚めて、 まどろみは消えて、 真のありかを探す 時にはこういう夢も見たいものである 夢の続きはまた今夜、ふたたびいらしてください。

趣味は気晴らしにいい

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今日もこうして始まりましたね。雑文を書いてみます。 絵だね。僕にとって得意な趣味と言ったら絵かもね。でも、絵で生活費を稼いでいるわけでないから趣味という範疇かもしれません。 それでも、なぜか懸命に絵を描いている。絵を描くってことは精神的な修養になるし、素養になるんですね。 おしゃれな気分になる。とか、キャンバスに自分をブチ込めることができす。ある意味、カラオケみたいなところはあるのは表現ということなのかもしれません。 それは絵でなくてもいいかも。 料理でもいいし、なんでも表現であれば芸術になるかもね。 なんか昔、おばあちゃんがおにぎりを作ってくれた。その味を思い出します。それは心のこもった表現であった気がします。心に残るって大事かもね。それが幾世紀も語り継がれる。 絵を描いている人に趣味でしょって言ってはいけない場合がある。たとへそれで、アートで食べていなくても趣味でないことはままあることです。趣味でしょっていうのは実は控えた方がいいワードである事もあります。 今、自宅待機の人たちが多いでしょう。そういう人は何か作ってみたらどうかオススメします。絵だって描けるし、小説だって短いのであれば書けると思います。自己表現ってけっこう大事ですよ。 先ほども書きましたけど、素養、教養になるし、何かを作るってとても面白い事です。あなたのそのような趣味が形になった時、あなたはご自分の事を天才と思う事もあるでしょう。そういう意味で芸術制作って錬金術であるのだよ。自信がつくかもしれない。そういう魔法ですね。芸術っていうのは! 僕もこうして文を書く事を趣味にしていますが、けっこう気晴らしにはなります。気晴らしっていうのは大事で、それをする事で日々が充実していくし、仕事のモチベーションにも影響してくるから僕にとってはとても重要な遊びであると言えます。 遊び心は大事だと思います。 遊び心を失うと本当にしんどくなるかもしれない。 気晴らしだからいい具合に続けられるのかもね。あと、ストレスの解放でもありますね。こうして文章を書くっていうのは表現であるし、楽しいんですね。好きなんです。こういう文を書くっていうのがね。 好きだから意外に続いている趣味であると思います。

詩・本多裕樹 イエスの祈り「天空の歌、」それ今なり

イエスの祈り「天空の歌、」それ今なり 詩・本多裕樹 おお、天にいます方よ、 楽士たちよ奏でよ その大いなる手でもって 祝福を歌え おお、天にいます方よ、 その声を聞かせておくれ 事実と真実は何を教えてくれるか 主よ 主よ 汝が声を響かせる 主の声が大地に響く 奏でる音楽はコロス隊によって奏でられ 主の声を音にして伝える 天には光 地の平らなところに光が照らされて 主は知っている その地の騒乱を 人々は助け合い生きている それを主は喜ぶ モーセは願う イエスは祈る 大いなる救世を願い 人々の救いを祈る 祝福あるように 祝福があなたにあるように すべての人に、 すべての息あるものに生命の泉に導く 主は彼らに食べられた 血と肉を ワインとパンでもって 汝ら救いを受け心なぐさめがあるように 夢を見るものは天空の船を見る その船は多くあり、輝いている 主は救いを祈る 人々は救いを受けよ 試練の時は今、今、あなたは何をするか 今、あなたは何をするか 主は見ておられる あなた方に祝福を あなた方に栄光があるように 主は見ておられる すべてを見通す目でもって あなたに光に目覚めてほしいと祈っている あなたに光が輝くように あなたに主はおられる あなたの心に主はおられる 心に主の心を体現せよ 主は祈っておられる イエスはあなたに神があることを知って欲しいと言う あなたに神が光るように あなたは神の子である モーセは導くであろう、天の世界へ イエスは願うことであろう地上に天国の再現を 地上に平和があるように 地上に愛があるように 地上に光があるように 地上に天国が実現するように 天に光があるように、地の上にも光があるように 愛があるように、愛が平和を実現する 主は言われる あなた方に愛があるように それは光である その光を輝かせそれを灯火として地を照らせ 光があるように あなた方は神の子である 神の光の種を芽吹けよ この時代

今という時、

今日もこうして始まりましたね。今現在、世界的に騒然としていて、パンデミックの状況にあります。 そん中、人々は助け合って、生きています。 さて、こんなことになりましたが、これも辛いことです。経済がうまくまわらなくて困っている人たちもいるし、ますます貧困のダメージも大きいようです。 社会的弱者は世の中にはいっぱいいますが、挫折したり、道を失ったり、真面目に働いているのに何故か貯金に回すお金がない。そう言う人がほとんどなのか?まあ、僕もそうなんだけど。 この現状を救うには何が必要か? やはり、家族、友人、みんなで助け合って乗り切るしかないのか? そうであろう最低限それは必要であろう。 こんな時に芸術の話をするのもいい、アートは人心を感動させてくれる。僕は昨日、会社休みであったのですが、ウィスキー飲んで映画のDVDを観ていました。けっこう満喫できて良かったです。 いろんなネガテイブなことが起きていますが、そこから一度視点を外す時間も大事でしょう。そう言う意味で娯楽も大事ですね。 もっと寝る場所がないとか、住む所がないとか、そう言うのは大変だ。今後そう言う人のいることを政府は認識して何かが変わればいいのであるが! お金持ちだけの世界なのか、そうなのか?そうであっていいのか?もし、僕がお金持ちであればお金を増やそうと策をいろいろ練ったであろう。 お金が通用しなくなったらどうなる。お金持ちは死んでしまうであろう。 しかし、そう言う人はメンタルが強いし、精神の足腰が強いからまたカムバックするでしょう。 まあ、いろいろ社会問題について語ろうとしましたが、なかなか難しいものですね。こういうのは神様に任せるしかないようだ。僕ではなんともし難いですね。いつも通り芸術についての考察をしていた方が僕には楽であるかもしれません。 現代における、この状況の世界を感じて、何か作品を作るきっかけやヒントはあるのだろうか。 何を描かせるのであろうか。どんな作品を私に作らせるのであろうか。そこが問題だ。 苦悩を描くか?いや、それはと思うが、それはどうもすごいことになりそう。こういう時期は古典主義的な傾向に行って精神の安定をもたらした方がいいのか?そういう考え方もある。 今取