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ギャラリーK GALA展  小さな作品 祭り 2021年1月8日(金)~23日(土)

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  ギャラリーK   GALA展  小さな作品 祭り 2021年1月8日(金)~23日(土) 今年も、もう少しで終わりますね。でも、すべての終わりはすべての始まりであるとも言えます。 そんな新年を迎えたら、僕がお世話になっているホームの画廊で年初めの展覧会がギャラリーKで開催されます。 それは、 GALA展 小さな作品の祭りです。 2021年1月8日(金)~23日(土) 開催場所:ギャラリーK  〒343-0821 越谷市瓦曽根3ー7ー7ー3F 電話048ー947ー9135 新越谷駅 南越谷駅から歩いて10くらい 11時~17時まで(日曜日休廊) 初日13時~から開催 最終日16時まで この展覧会では基本、小品が多いです。 小品展であると言ってもいいです。なのでいろんな作品が美術館のようにたくさんあります。 二千円くらいの絵から1万円くらいまでさまざまです。 普段、大きな作品を出品している作家さんでもこのGALA展では小さな作品を出品し、買える値段だったりします。また、新人の発掘場所でもあり、この展覧会からいろいろな展覧会に出品するきっかけになっているように思います。 もちろんこういう展覧会はどこの画廊でも行なっていると思いますが、新年ということもあってとても重要な展覧会になっていると思います。 そして、僕も出品します。 B4サイズの絵画作品を二点出品します。 また、折には紹介させていただきますが、他のアーティストの作品も注目するべきものがあるでしょう。 私の在廊は初日の夕刻からいると思います。 仕事を早く終わらせて直で行く感じです。あとは、お忍びでちょこちょこ行く感じです。 私はこの展覧会でけっこう学ぶことが多いと思っています。いろんな作家の作品を観て技術なりを吸収するいい機会になっています。 ありがたいことで僕は他の作家の技術をいくらか得ています。絵画作品は必ずしもご購入なされなくても作品の美学を学んだり、技術を得たりすることは面白いことです。 こういう展覧会は実は小中高生にきてもらいたいと思っています。作品の技術を吸収するいい機会であり、自分の絵画、イラストの制作に使えそうなメチエがいっぱいありますのでとてもいいと思います。 きっと趣味にも活かせるところが沢山あります

「雑文 2020年12月11日」

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  「雑文 2020年12月11日」 今日もこうして始まりました。今日も朝食はライス、食べるラー油、コーヒー、味噌汁、ヨーグルトでした。そこそこがっつり食べました。 おかげさまで朝、調子いいです。 昨日は帰宅して何も生産的なことはしませんでした。読書すらしませんでした。ただ動画を見て過ごしていました。まあ、そんな日もありますね。 年賀はがきの絵描きました。ペンでひたすら抽象画や美人画を描いていました。 80枚描きました。あとは住所と名前を書いて投函するのみです。制作している時は脳が気持ちよかったです。絵を描くってやばい状態になるのでいいかもしれませんね。 制作の精神のボーダーラインを超えるとランナーズハイになります。そこまで行くと心地よい気持ちになりいくらでも夢中になれます。それはどんな仕事でもそうかもしれませんが、やっぱり興奮状態にあってはなんでも熱意をもって精進できるというものです。 明日は、どうしようか? 展覧会の招待状をもらっていますので、その場所に行くと思います。明日は休んで日曜日に行くべきが青山まで行くことになっています。 自分は文学を書けると思っていました。なんか熱意もない私が書ききることは可能なのか。そもそも小説というものを僕はあまり読まないのです。10代~20代の時は近代から昭和時代の文学を読みあさっていましたが、今はそういうのないですね。飽きたというか熱意が引いてしまった。小説を読むのは一時期の青春であったとさえ思います。文学は若い人のためにあると言ってもいいくらいです。あの頃の小説の面白さは最高に絶頂ですが、今はそれを読む意欲すらない。 文学は若い人のためにあると思う。 絵は描いています。しんどい、最初だけだけど、ある人が言っていたけどサラリーマンになると絵が描けなくなるよと言われたことがある。まあ、その言葉、今になってわかります。時間が無くなるからもあるかもしれませんが、ボーダーラインを越えることは精神的にリスクを負い、普通の生活、精神状態を崩してしまいますので社会生活に適応できなくなるのがそれの意味だと思います。 どうしても日曜画家になってしまいます。 そうなると職業画家というのはいいものかと言うと、毎日絵に向き合えて幸せだろうなと夢想します。 私は今はそういう生活にありませんが、制作は

「雑文、詩を読んで天才のリスク」

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  「雑文、詩を読んで天才のリスク」 今日もこうして始まりましたね。僕の今日の朝食は、ヨーグルト、ライス、ふりかけ、コーヒー、ハム、味噌汁でありました。朝は軽くでいい感じです。朝食は美味いとかそういうのでなく1日の滋養を体に入れるために食べています。楽しんで食事ができるのは昼食とか夕食になると思います。 とにかく朝は1日の活力を養うために必死であると言えます。 まあ、そんなこんなで最近のアート活動ですが、家に帰宅して寝ています。疲れを癒してそれから夕食だの風呂などはいります。 詩の朗読をやっています。 アルチュール・ランボー詩集 ポール・ヴェルレーヌ詩集 を読んでいます。 自分の詩と比べても文豪の詩には勝てない何かがあるだけでなく、とうてい天才に一生なれないと思わせるほど高みにある詩人の詩を読んでいます。 それも朗読で、朗読して初めてその詩のエネルギーが再生されるものでその力と美はすさまじいものを感じます。 僕ではランボーの境地にいくことはまず不可能に思うときすらある。 それはヴェルレーヌでもそうだし、あのアブサンに酔ったような美の甘さはなかなか天才でないと書けないと思います。 詩の天才たちはなんらかの犠牲を捧げているのか、若さをもってその情熱とストレスとか貧困とかが詩のエネルギーになっていることも言えると思いますので、天才にはなんらかのリスクはあることを知りました。 日本でいうと石川啄木とか中原中也であろうか?あのような天才にしても私生活は大変な刺激でいっぱいだろうし、必ずしも幸運ではなかったように思います。 そのような劣悪な環境から名詩が書けるということもあって、凡人の平々凡々の日常では書けないそんな美がある。 なので美はあらゆる劣悪な環境に対するストレスが激しい鮮烈な美を放つのではないかと思いました。 しかし、天才でなくても詩は書いていいのです。天才は天才でその御方々は殿堂入りしています。平凡な日常を過ごしている僕はそのような天才になれないこと、そして天才的な詩は一生かかっても書けないことを知っています。 ランボーとヴェルレーヌの詩を読んでわかりました。 中原中也、石川啄木もそうですね。 実際、不幸が最高の芸術作品を生み出す原動力になることもあって、むしろ環境が良くないアーテイストの方が最高に素晴らしい作品を作ることもあるのです。 やっぱりその劣悪な環境に

「雑文 2020年12月9日」

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  「雑文 2020年12月9日」 今日もこうして始まりました。朝食はライス、コーヒー、甘酒、ハム、食べるラー油、ヨーグルト、でありました。朝はあまりガッツリいかない感じです。 最近は映像作品を作ろうと、カメラをもって撮影をしています。今撮っているのは友人がタバコを吸うのでそのタバコシーンをいかにカッコよくて映像的に面白いものになるかを実験し練習しています。 いつかは動画サイトで発表できるような映像作品を作ってみたいと思っています。 さて、何から話そう、そういえばこの社会を見ようと思うのだけど、もう僕の意識が社会から離れている感じで、あまり世の中のことが脳に入ってこない感じですね。最低限のルールは守りながらも日々生活しています。あまり世の中のことに動じていませんね。それはあるわけであってもう他の事を考えているかどうかですが、それもあまり問題にしていません。家に帰れば仮眠していますので、雑事は寝て忘れてしまうように思います。 アートの事をどうやって取り組んでいるかですが、主に休日に活動しています。まあ、そうは言っても絵を描いたりするくらい、あと写真、映像をやっています。 絵を描くのは最初の30分~1時間は大変ですね。そのあとはランナーズハイになってすごい集中力を出してあっという間に制作に熱が入ります。まずは脳内麻薬が出るまでが大変という事です。 最近の絵の課題はデッサンですね。巨匠のデッサンを模写しています。大体はルネサンス期の作品をクロッキー用紙に描き続けます。4年は頑張ろうと思っています。4年後そこそこは描けるようになっていたらいいなと思います。そんな投資をしている感じです。投資といっても金融資産でなく絵の技術に投資する感じであってその成果を期待して修練しているのです。 昔、絵の先生がこんな事を言っていました。 「時間も才能の内である」 そう、時間も才能なのだ。絵の限界は時間であることもあるし、時間をかけないと練習もできないし傑作も描けないからでしょう。今になってようやくわかるようになってきた昨今であります。 やっぱり創作をやっている人はよく眠ったほうがいい。頭がスッキリしていて体の調子がいいとインスピレーションも出てくるし、なおかつ元気で快活になれる。眠るって大事なことだと思いますよ。体調管理はとても大事に思います。な

河口聖先生の作品をたましん美術館で観て、今日の旅 2020・12・5・土

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  「河口聖先生の作品をたましん美術館に行って」 朝、開館の時間でたましん美術館に行ってきました。たましん美術館は銀行の美術館で美術品のコレクションをもっていたりして芸術、文化を奨励しているのですが、今回は地元の美術家を集めて展覧会をしました。 その中で、河口聖先生も出品していて、私はそれを観ました。とても壮大なイメージの絵であり、普段の人間としての河口さんを凌いで芸術の神になったかのようなそんな絵でありました。人間の枠を越えていくとその世界は人知を超えたものになります。 詩人のゲーテは自分以上の作品は作ることはできないと言うけど、実際絵の段階になると、それは違うわけで時々、自分以上の作品というものができてしまうものです。 それは天才の条件かもしれないが、実際、あの霊的にさえ思えるあの青い滝のような、そのエーテリアの世界観は抽象画として再現されて鑑賞者の心に響くバイブスは実際のところ霊体において響くものを感じました。 私は美を発見したのだろうか その美は、美だったのだろうか 絵画という遊びことでない何かだ 遊びもあろうが、 青い滝、それとも天空からの啓示の表象 存在以前の存在 そこはどこからきたのか それこそ聖なる絵であり、 聖なるものであった その作者の名の通り 聖であった 他の作家さんの絵も観ました。他の作品も素晴らしいものがあった。けっこう楽しめて1時間くらいは絵画と対面して思考を巡らせていたように思います。 多摩、立川はとても文化を大事にする都市であるのだと思いました。 今、帰りにあって電車で地元に行きます。昼ご飯を食べて、そのあと何をしようか決めていませんが、また、詩を書こうと思います。絵とも向き合ってみようと思います。 今日は休日なのでいろいろ遊ぶことはできます。私の遊びは絵を描いたり詩を書いたりする程度のものなのでそんなサーフィンとかスキーとかはしません。いたってインドアの遊びです。そして、美術館に行くとかして精神を高めたりするのがいい感じではあります。 趣味があるっていうのはいいことだと思います。その趣味でご飯を食べていこうとは思ったことはありますが、今は趣味は趣味でいいかもしれないなと思っています。あのゲーテであっても普段は労働をして趣味で文筆したり研究していたわけだから、しかも仕事はけ

休日を美術館に行く「たましん美術館」2020・12・5 土より

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  「休日を美術館に行く」 7時ごろ朝早く起きて、朝食をした。今日の献立はホットケーキ、スープ、カフェオレ、アップルパイ、ゆでたまご、であった。ホットケーキはふっくらして美味かった。それから出かける準備をして8時30分頃には家を出ました。バスに揺られながら駅に着き電車に乗って今にいたります。 今日は美術館に行きます。不用不急で外にあまり出てはならないのですが、ただ美術を観るだけでなく、ちょっと大事な義理ごとでありますので覚悟決めて出かけています。義理ごとはただ遊びに行くだけでないのです。その人との義理もあって、義理ってけっこう大事なことだと思います。なので不用でもないのです。 さて、立川の美術館に行くとして1時間以上かかるのですがこうしてトレインライフを楽しんでいるのも現状なわけでありまして、美術館のチラシを見ても作品の画像がないので空想力を働かせて思いを巡らしています。 今日の天気は曇りですね。過ごしやすい空気です。僕は涼しい季節が楽なので冬は好きです。夏は夏でシャツ一枚で生活できるのも好きですが、冬も夏も好きなんですね。日本の季節の彩りはいいものだと思います。 今日の美術館は画家の先輩で師匠筋の河口聖さんからわざわざ招待状をいただきましたので行くことにしました。河口さんが美術館に展示されているというので行くのです。公募展ではないようで美術館の企画で多摩にゆかりのある芸術家が選ばれて美術館という殿堂に展示されているということです。とてもすばらしいことだと思います。 電車にゆられて今、旅をしていますが流石に乗客は満員でなくところどころ空いていて僕も座れる感じです。窓の外から見える景色もけっこう美しいのがまたいい感じです。 西国分寺に今向かっています。そこから乗り換えて立川に行く感じです。朝早くなので清々しい、電車の中も適度に外の風が入ってきてきもちいですね。 今日は写真を撮らない感じです。さすがに美術館のコレクションを撮影は違反なりますので写真は持って行きませんでした。しかし、作品を目というシャッターで脳内の海馬に焼き付けようと思います。 僕は美術を観るのはけっこう長く時間とって観ます。それはなぜかというとお金を出して観るわけですから、その元を取って何か得るものがあれば取り入れたいし、楽しむと同時に学びたい、芸術意識を高めたいと思