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10月, 2021の投稿を表示しています

猫とカラスの縄張り合戦 作・山崎智嗣 個人蔵

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  猫とカラスの縄張り合戦 作・山崎智嗣 個人蔵 この絵を見とき細部まで描かれてすごいと思った。名品だと思う。尋常でない細部の描写、山崎智嗣さんはかつて漫画家でありましたが、アートに移行してギャラリーや画廊に出品するようになったようです。 漫画のやり方で絵画を描いている。漫画を描くというのは下絵を描き、それにペン入れして色をつけていく。その作業は尋常でないほどやばいものであります。 毎回毎回、このような細密画を描き、越谷ギャラリーKを盛り上げてくれています。 この絵は猫とカラスが戦い居場所を守り奪う合戦であり、猫はカラスの卵を奪おうともしている。カラスはそれを守らんと抵抗し、逆に猫を返り討ちにしようとしているのです。 猫は交戦的であり、この猫やカラスは漫画の形になっている。ウオルトデイズニーや手塚治虫を尊敬していてこのような動物の漫画の形式にすることができたという。 この絵は、ミケランジェロのシステイーナ礼拝堂の最後の審判を思い示すものがあり、壮大なスケールの絵だと私は思います。 相当な力をもって描かれていて見応えもある。力ある絵画とはこういうものを言うのだと感じた。 普段は仕事をして帰宅すると毎日、机に向かって漫画を描き絵を描いているという。毎日、机に向かって制作してしかも長期間かけて一点の作品を描いていくのだそうです。その制作の時はすごい集中力であることを覚えます。 猫がそれぞれが違う動きをしていて、それぞれ個性を持っている。人格、猫人格をもってカラスもそれぞれ違う。 かつて昔、群衆画を描くことは難しいと私は言われたことがありますが、この絵ではその難所をいとわず作品として実現している。 やはり、漫画家出身というのはデッサンも俊逸であるし、アートの世界に来るとものすごい力を発揮するのだなと思いました。 猫もそれぞれ役を演じている。 カラスもそうだ。 鉄塔の上にはカラスの卵と雛がいる。 それを猫が奪って食べようとしている。 カラスも抵抗し、逆に返り討ちにしようとしている。 猫は苦戦に苦戦し、それでも諦めない。 そんな戦いの場面であります。 あと、絵そのものも大事ですが、これにペン入れしてインクで塗るのは相当な技術がいると言っていました。 この絵はキャンバスに描いているようです。色落ちしないように特殊な加工

地平展 埼玉近代美術館 作:井上活魂 出品作紹介

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  地平展 埼玉近代美術館 作:井上活魂 出品作紹介 この前、埼玉近代美術館に行ってきました。小旅行であり気晴らしも兼ねて電車にゆられトレインライフを楽しんでいました。今日は少し晴れで雲もいくらか漂って流れている。そうして北浦和駅を出て徒歩10分くらいに埼玉近代美術館があります。まずは腹ごしらえということでレストランでパスタを食べました。デザートを食べ終え、地下一階の一般展示室に向かった。 いろんな人がその美術館の場所を借りて展示をしていた。写真もあった。埼玉近代美術館は部屋を借りることが可能なのであった。 そうして「地平展」の会場に足を踏み入れた。 そこで一番巨大な作品、井上活魂さんのオブジェというかインスタレーション作品があった。  この作品は神像を表しているそうです。あらゆる顔を描いている。呪術的な、または呪いのようなそんな祈りを造形していてコロナに対する反応をもとに作っているという。 これらの顔は古代の原始的な神々の象徴であり、祈りが込められている。 このぶら下がっているのは使用済みのマスクであり、コロナに対する神経過敏をもってこれを捧げている。呪いなのか祈りなのか魔術的芸術を表している。闇と光の中でもこれは善悪を超えた美を表現している。 赤色が多いのは血を表している。さまざまな場面で繊細な精神ゆえに感じるのだろう、この神像は十字架にかかっているようだ。 いかれているというか、どこか気が触れないとこれは作れないだろう。どこかで頭のネジを外して創造の泉を開かねばならない現実もある。これは並の精神で作れない狂気のインスタレーションでありオブジェである。この作品に生命をかけているのであろう。コロナに対するストレスと危機感がこの怪物を想像してしまったのであろう。 絵よりも衝撃的であるかもしれない。 ただ、衝撃がある。そのエネルギーに活発な燃えるような儀式、祭りを感じる。 その祭りはコロナを燃えたたせ神としてあがめ、禍をむしろ念仏によって鎮まらせようとしている祭司の姿が浮かぶ。 それでこの神像は何をわれわれに訴えているのであろうか。裁きをもたらし、人類の身勝手を戒め、怒りを下しているのであろう。 井上活魂さんはまるで預言者のようにこのインスタレーションの話をする。それは純粋な心でこの時代をとらえて警告と提示をして

メリメロ展 越谷 ギャラリーK 本多裕樹出品作紹介

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  メリメロ展 越谷 ギャラリーK   本多裕樹出品作紹介 この前、1ヶ月くらい前に越谷ギャラリーKにて大澤純二先生の企画で「メリメロ」展が開催していました。メリメロとはなんでもごちゃ混ぜでいいという意味らしいです。それで私もなんでもいいので作品を出品してみました。 その展覧会に私も出品を依頼されて作品を世に問いてみました。 そのメリメロ展に出品した作品は色、原色だけで描いた絵を出しました。 「王宮」 制作2020年 材料:アクリル キャンバス サイズ・F10号 作画・本多裕樹 この絵はほとんど原色で点描であり、強い色で描かれています。形も単純化されて色が入りやすく、空は黄色で染め上げられ海も黄色になっています。空を黄色で描くのは西洋絵画では夜の表現に使います。この絵は夜を描いているのです。月が太陽のように輝くのがまた、鮮烈でさえあります。 「水面」制作2020年、材料:アクリル、キャンバス サイズ・F10号 作画・本多裕樹    これは川の流れを描いたものです。現実の水の色とは違いますが、あえてこうして色遊びをして表現するのも面白いものです。深い公園の池を描いたもので、太陽の光がさして虹彩を放っています。こうして見ていると目にチカチカとしますね。色はやはり光なのでしょうか。 「月夜に輝く」制作2020年 、材料:アクリル、キャンバス サイズF10号 作画・本多裕樹 この絵は夜の中、月が天空で輝き大地を照らしているものです。昼のような明るさは色の輝きが鮮やかさを出して月の光が燦々と輝き放ち、いわゆる光の世界を原色は描いてくれます。こうした強い色もいい感じですね。 「川の流れ」 制作2020年 材料・アクリル、キャンバス サイズ・F10号 作画・本多裕樹 この絵は外国を描いて見ました。どこか日本的でなく、しかもどことなく夢の世界、それを思い描いてみました。もちろん絵の具はチューブの中にあるそのままの色を使い鮮やかな絵を描いてみました。 こうした一連の作品は近代フランスで起きた野獣派事件の技法であり、原色で描いて鮮烈な強い色彩で表す様式を私が描いて見ました。 一見下手なところやデッサンの違いなどありますが、色をメインにしていくためにデッサンをあまり詳しく描かないのがコツだったりします。あまり上手に描くと色が映え

「河口聖 第102回個展 越谷ギャラリーKにて」

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「河口聖 第102回個展 越谷ギャラリーKにて」 昨日、越谷ギャラリーKに河口聖展に行ってきました。道すがらコーヒーをいっぱい飲みぶらぶら歩きながら、歩を進めた。もう、今週の月曜日に展覧会初日に行ったのですが、その時も集中して鑑賞したつもりであった。そして土曜日の朝に画廊に入り誰もいなかった。 開廊して30分後に早めに着いたから、私が一番乗りであって作品を一人で眺めるという贅沢な気分を味わった。 「Recollection」シリーズ これらが河口聖の最後の境地と言われる。もちろんその後もあるのですが、傑作の数々であった。少なくとも私はそう思うし、自分の求める芸術のヒントにはなっています。 今回は「和」の感覚が出ていて、日本の芸術家は最終的にここにいたるというもので、遺伝子レベルの感覚で描いてしまうという根源的な懐かしさもある。 河口先生は故郷の原風景を描いていると言っていた。 これだけみてもわからないでしょう。 この作品群は仏教の日本の禅宗を思わせるものがあると思います。例えば禅僧が「石」を見ていろいろ考察して仏の存在を探求するのと似ています。 日本の禅宗では絵画や書をたしなみそこに思想を込めるものであります。近年ではロックミュージシャンのビートルズのジョン・レノンが禅宗の書画のコレクションをもっていたしアメリカ合衆国の若者たちが禅の美術を求めていたという。 そういう意味で、禅美術はインテリ層に人気であったということ、そして抽象画もそのような禅美術に近いところがあるのかもと思います。 美術は社会の求めに応じて作る時代では今はなく自由になっています。 昔の戦国時代の狩野派とか土佐派の絵師という人たちがありましたが、大名たちは権力の誇示のために美術を作らせた。 その一方で禅美術はそのようなものに関係なく悟りを求めて哲学をして書画を描いていた。 社会に合わせた美術は例えばよく売れそうな絵であり、自分の描きたいものを描く芸術家でなく、職人としての売り絵になって本心を失ってしまう。 この絵は一見わからないでしょう。 でも、わかる人にはわかる。 ここに根源の考察があるからです。それも原始的な。 私はこの絵を見ている。絵から出てくるバイブレーションが心地よい。美術は心地よくあってはいけないと岡本太郎が言っていたが、こ

「オルゴン大如来」 画・本多裕樹 油彩 サイズP60号

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  「オルゴン大如来」 画・本多裕樹  油彩 サイズP60号 この絵は何を表すか、何を描こうと、神を描きたかったと言えます。信仰心によって塗り込まれたのか?はたまた興味本位でこの図を描いたのか。 私は、この方のことをあまり知らない。でも、心のどこかでひかれるものがあって、 ぜひにでも描いてみたいと思わせたのです。 この後輪を持つマスターは、もしくは天使は、マイトレーヤーという方で法をもって世界の人々を救う、仏様なのでしょうか。世界を憂いているのか。滅びゆく我々を見守っているかのように見えます。 大きな光の黄金色の後輪は法をあらわし神の証明をしてるのでしょうか。 その姿を見た者はいなく。私も見たこともないのです。ただ、世界の文献を調べてみるとそのような神霊があって神の世界で生きている存在をとらえて絵に描いてみました。 また、この3人の天使たちは、 大天使メタトロンと弥勒菩薩、聖クザーヌスというアトランティスの王を描いてみました。 この3人もマイトレーヤーと関係のある天使であります。 宇宙的な存在であり、地上を守る神々のその姿は祈りでもって地上を愛し、はぐくみ指導している神霊であって科学と信仰の可能性をうたった天使たちと言えます。 この二人は「ミトラス」であり一時期ローマ帝国の国教にもなったミトラ教のみ姿で す。ペルシャで信じられていた宗教でいろんな哲学や宗教を集大成して「ケウル」という聖典があります。今も出版されていると思います。 緑の服の人は旧約聖書の創世記に出てくるエノクです。神と共に生きて神にとられた人でその後、宇宙をまたにかけ大天使メタトロンと会ったとか。そういう伝説があるためこの絵に描きマスターの一人として写させていただきました。 この青い神の天使は聖霊でありこの天使たち神霊たちのエネルギーの表れであり、どこでも出現する変幻自在の心臓のような存在です。 青い聖霊の天使はオリオンのマイトレーヤーでありその力の源であります。 この群像がは一つのオルゴンを表す存在たちで、その総合的な意識が「オルゴン大如来」でありさまざまに姿形を変えながら役目を果たしている霊的な存在であります。 今も、こも如来は天にあって、宇宙にあって神々の仕事をしているのでありましょう。 そう思い、この絵の構想を思いつき、なんとか描いてみたいと思った次第です。 ここまで読んでくださりありがとうご