疲れ気味、それでもやっていますよ。アートな生活を!
今日もこうして書くことになりました。まあ、なんていうかあまりネタはないのでありますが書いています。 まず、書くという行為に意味があると私は思います。 本を読む、これは勉強をしている事になる。書を読む、これは重要な学問だ。 そして、書くという行為はそれ自体が学問していることであると私は思います。 書くと言う事は大事だよね。少なくとも僕はそう思う、このような雑文であってもね。 この原稿用紙を書ききることも大事だし、達成感が湧くよね。だいたい原稿用紙二枚くらいだ。それを万年筆で書き綴る。すごくしんどいけどたのしい。 今日、あるコミュニティーに参加して話をしてきたんだけど、たのしんでやることを教わった。 その人は頭の中での行動がすごくいろんなことを考えている。しかし、実際にはあまり実現していない。でも、行動して実現していることもあるのだ。まずは、思うこと、考えることから始めるのだと思いました。 一つの行為にはさまざまな内容があるのかもしれない。 思う、即行動の人はいない。即行動には前もって準備していることがある。そういう意味で即判断、即行動には、アスリートのような瞬発力がいるし、普段からトレーニングをしている結果だと言えよう。 普段からなにか積み上げていれば、判断、行動も早いだろう。それは訓練された人であるからだ。いつもいろんなリハーサルやイメージでシュミレーションをしているだろうし、練習に練習を重ねて試合の時には瞬間の判断が可能なのだと思います。 まあ、わたしのこうした文章を書くのもそうかもしれません。私の場合は仕事で情報伝達のための書類作成とか企画書を書いたりというより、本当に文章を書くのが好きで好きで仕方なく書きまくっているだけの人でありますから、趣味であり、たのしい遊びでありますので、真剣に仕事でやっているわけでないのでいくらか気楽にやっているのが現状なんですね。 なので、遊びであります。 でも、遊びって大事だよ。たのしいし、気分がよくなるしね。 僕は絵なんかも描いたりしますが、これもたのしいよ。地味な仕事だけど、まあ、文章を書くのも地味っていえば地味かもしれませんね。まあ、地味な事が好きなのかも